惑星スミスでネイキッドランチを
今日はドラマのお話!「惑星スミスでネイキッドランチを」
私はひねくれているので、まっすぐな感情表現やわかりやすい物語があまり好きではない。「悲しい=悲しい、楽しい=楽しい」みたいな単純さ。
実際人間というものはとても複雑で、時には無駄と思えるほどの膨大な考えを巡らせたり、相反する感情が共存していたり、とまあ色々。
これはきっとなにも私だけがそうというわけじゃなくて、本当はみんなそうなんだと思う。まあ少し前なら周りがバカで私だけが物事を深く考えているのだ、とか思っていたけど、少し冷静になってみると、みんなある程度までは、そう。
それで何が言いたいのかというと、実際は人間とは複雑なものだけれども、世の中には単純な思考や表現が溢れていて、実際に人間が直面するあれやこれやのことに対応する「もの」が少ない。それは人もそう、作品でもそう。
ここでやっと作品の話に戻るわけだけど、惑星スミスはそういったあれやこれやに対応するものだと思っている。複雑なもの、言い表せないこと、やり切れない思い、とかに。
大切な人がいなくなって悲しいのは当たり前、人が死んで悲しいのは当たり前、傷つけば痛いのも苦しいのも当たり前。
その「当たり前」を取り出して、あれこれいじくりまわして余分なものを注入して、グチャグチャにかき混ぜたものを、目の前に「ドンッ」と置かれてる感じ。惑星スミスはそんなドラマです。
これはとっても褒めている表現で、私が大好きな「オナニーマシーン」というバンドがいるんですが、そのバンドの曲の歌詞には
久しぶりに君を思い出してオナニーしてみたよ、うまくはできなかったけど…
というのがある。
そのほかの部分
彼女のことを思い出した
午前3時過ぎ
元気にやってるかい?夢は忘れちゃないか?
とかは普通なんだけど。
そこにオナニーだとかザーメンだとかを入れ込むことによって、一定の層にはまったく受け入れ難いものになっていると同時に、その他の妙ちきりんな層には、ただの愛だの恋だのよりも響いてしまうんだな。
斜めから見たり、背を向けたり、時にはついつい唾を吐いたりしてしまいがちなハートフルな物語が「オナニー」を介してなら入ってくるのだ。ってこれはただの私の話…。
惑星スミスもそんな感じ。悲しさや辛さを変わった方法で表現してる。SMの女王様という設定がオナマシの曲でいう「オナニー、ザーメン」って感じだね。つまり観る人がねじ曲がっていればいるほど、なんだか響いてしまうドラマだと思う!私は大好き。誰が好きって、凶子ママが一番好き💓
…と色々書いてみたけど、まずドラマの話なのに「私は…」という書き出しで始まるあたりがあれだよね。超あれ。ドラマに出てくる人間を主語にしろよ。
今は配信も4話からしか見られないけど(5月5日現在)、1話完結的なところもあるので、途中からでも見てほしいな。ぜひ!