横浜の未来へを見据える
フェイスブックからの転載。
10:16投稿。
また長くなります。
亡き祖父の故伊藤正夫と亡き母中村(伊藤)妙子は戦争前から神奈川県板金工業組合、横浜市板金組合連合会の支部、会員さんをまとめあげて支部設立にも奔走して戦争中の物資のない時代の横浜市を発展させるためにリアカーでトタン板のはんだ付けの材料の塩酸を配りに組合員さんたちの元に行っています。
その行動でも組合員たちの顧客の取りまとめの「宮崎トタン店の取りまとめ役の顧客のリーダー格」や神奈川県知事、横浜市長からの功労者として