息子から学んだ「ボーッとすることの大切さ」
息子は、よくボーッとしている。息子に言わせると「ボクはね、ボーッとしているのが得意なんだ。」そうだ。
私は今まで、そんな息子を見て時間がもったいない、と思っていた。
でも、待てよ。
本当に時間ってそんなにもったいない?
人は本当に、いつも「何かしていなくちゃいけない」んだろうか。
鉄ヲタの息子は、電車の中でスマホを見ない。景色を見たり、運転席の計器を見たり、駅を見たりするのに忙しいからだ。
それに引き換え私は、ヒマができると(いやヒマじゃなくても)、本を読んだりスマホを見たりしてしまう。どうしてもそうしなければいけないわけでもないのに、手持ちぶさたになってついそうしてしまう。
息子は、傍目から見るとたしかに「ボーッとしている」ように見える。しかし、実は、ボーッとしている時、本当は頭の中を整理整頓していたり、色々なことを観察して何かを考えたりしているのだ。
本を読んだり、勉強をしたりするのも大事だ。でも、それは与えられたものでしかない。自分が興味あるものを見つけ、それをじっと見ながら考えるのとは何か違うのでは?
以前、教育ジャーナリストのおおたとしまささんが、「子どもにはボーッとする時間が必要です。」とおっしゃっていた。それは、こういうことなのかもしれないな、と思った。
今日も、電車の中で、息子は窓の外を「ボーッと」眺めていた。
周りの大人たちはスマホを見ている。
「ボーッとしているのが得意なんだ。」と言った言葉が蘇ってくる。
何もなくても楽しめる。
たしかにそれは、特技なのかもしれない。