吉牛ラブストーリー

 これは、私が大学二年生の頃の話だ。
 当時、私は地元の豊川から名古屋の某大学に通っており、二年生になってから入ったゼミで恋をしていた。
 その異性は同じ歳で、岐阜の大垣から大学まで通っていた。小柄で色が白く、地元のショッピングモールでアパレルの販売のアルバイトをしているらしく、私にとって新鮮であった岐阜の方言が可愛く感じ、そして何よりその人懐っこい笑顔に完全にノックアウトされていたのだ。あるゼミの日、長かった髪をばっさり切ってきた時には、思わずドキッとしてしまったのを覚えている。
 とにかく私は、ゼミの研究テーマであった教育学もほどほどに、その”大垣の女”にそれはそれはお熱だったのだ。

 

 「今日メールアドレスを聞くぞ。絶対に今日聞くぞ。今日、絶対に。今日っていったら今日だ」

 その恋い焦がれる大垣の女とも少し話せるようになってきた、六月のとあるゼミの講義の日、私は密かにこう意気込んでいた。
 
 当時、まだ異性と交際した経験もなければ、まだまだ異性と気軽に接すること自体に極端な苦手意識を持っていた私は、人を好きになると、こうやって自分を追い込んでみせるのだが、そこにやはり余裕というものは生まれるはずもなく、大抵の場合は空回りに拍車がかかるばかりであった。
 それに、いくら同じゼミだとは言っても、授業は週一日の九〇分しかないというのが大学というところであり、しかも大垣の女との唯一の接点であるそのゼミも、夏までの前期で終わってしまうのだ。来年もまた、その大垣の女と一緒のゼミになれるとは限らないし、このままではどうすることもできずにゼミが終わってしまうので、憧れの華のキャンパスライフとやらを掴む為にも、夏休みに入る前にそれはもう何としてでも、大垣の女の連絡先を聞いておきたかったのである。
 
 そしてその日、恋愛の女神は、やはり私を見放しはしていなかった。
 大垣の女へのその一途な想いが天に届いたのだろう、ゼミの講義が終わった後に、運良く一緒に帰るチャンスに恵まれたのである。
 その大垣の女と、私が一緒に童謡についてグループ学習をしているもう一人のゼミ生の女の子と三人で最寄りの地下鉄の駅まで行くことになったのだが、そのもう一人の女の子だけが反対方面の電車だったので、必然的に帰りの電車内は、一〇分程度ではあるが大垣の女と二人きりになる。
 私はこのまたとないチャンスに、もはやこれは、完全に恋愛の女神が導いてくださった運命みたいなものに違いないと確信し、舞い上がっていたほどだった。
 しかし、そういった時にこそ運命のイタズラが邪魔をして、決して一筋縄にいかないのも、筋書きとしてはよくあることなのかもしれない。 
 

 「ごめん!私、ここに寄っていくから!」

 何と、大垣の女は、地下鉄の駅の入り口にある吉野家に一人で寄っていくというのだ。
 そう、吉野家とは、大手外食チェーンの通称”吉牛”で知られる、あの牛丼の吉野家である。
 時折、「女性は牛丼屋に一人で入りにくい」などという世論も耳にすることもある為、その大垣の女の突拍子もない言動に、私ももう一人の女の子も正直最初は少し面喰らってしまったのだが、勿論、吉牛に一人で入ったぐらいで私の大垣の女への想いは冷めることはなかった。
 言わば、それはギャップっていうやつでもあるわけだし、むしろ、私は即座に「自分を持っていて、芯があるんだな」と、更に好感を抱いたのだ。
 念のために述べておくが、これは決して、”恋は盲目”などというものではない。
 
 「……そ、そうなんだ!……じゃ、じゃあ、ま、またね!」
 
 手中にしかけていた、メールアドレスを聞く絶好のチャンスがその手からするりと逃げていった動揺を隠す為に、私は急いで平静を装った。
 同時に、その大垣の女の食欲という不可抗力に屈してしまった私は、そのままもう一人の女の子と地下鉄への階段を降りていってしまい、とうとう駅の改札も通り抜けてしまったのだ。
 そして、しばらく駅のホームで電車を待っていると、先に電車が来たのは、女の子が乗る方面の電車だった。
 
 「お疲れ!またね!」と何気ない挨拶を交わし、私はプラットホームに残った。
 すると、さっきまで自分に言い聞かせていた「今日、絶対にメールアドレスを聞く!」という密かなる決意表明が再び頭をもたげてきて、”後悔”の二文字が脳裏をかすめる。更に「今、吉牛で一人なんだよな……」と、まだ実はチャンスが続いていることを、急速に意識している自分もいる。
 しかも、私が乗る電車は、まだやって来ないではないか。
 
 そう、私は、またもや恋愛の女神に導かれた気がしてならなかった。
 ここまでは、女神が試練をお与えになっていたのだとさえ、その時は思ったのだ。
 
 気づけば、一度通したはずの定期券をまた改札に通していた。もし定期券じゃなかったとしても、「忘れ物をしたから学校に取りに行きたい!」などと駅員さんに言い放って、金山駅までの運賃である二六〇円をドブに捨てる覚悟すら、当時はあったかもしれない。
 とにかく「今日、絶対にメールアドレスを聞く!」という、もはや凝り固まり過ぎて単なるエゴイズムとさえ化しつつある決意が再び熱を帯び始め、後先考えずにまた突っ走り始めたのだ。
 
 そんな勢いに任せたまま、いざ吉牛の入り口の自動扉が開くと、真っ先に店内の真ん中あたりのカウンター席に座っていた、大垣の女と目が合った。
 
 「そういえば今日、家に晩ご飯がないのを思い出してさぁ。隣良い?」

 ちなみに、全然家に晩ご飯はあった。大垣の女からメールアドレスを聞きたいがための即座に思いついた”こじつけ”がこれだったのだ。
 向こうから「あれ?帰ってないの?」と疑問を投げかけられる前に、先手必勝でどうしてもこの不自然極まりない行動を正当化しておきたかったし、このシチュエーションが不自然過ぎるということは自分でもよく理解していたからこそ、それは尚更であり、しかも、それが逆に自らを焦らせて変な緊張感を生んでいたのもまた事実であった。

 

 「ご注文はお決まりですか?」

 

 ゼミは五限の講義だった。それが終わった後だったので時刻は夕方の六時を過ぎていたが、正直、嬉しいようで逃げ出したいような緊張が喉の奥あたりまでムカムカと突き上げてきているせいもあって、全くもって空腹を感じていなかった。
 しかし、ここまでの流れを成立させる為には何も食べないわけにはいかないので、目に飛び込んできた店内の壁に貼ってある、期間限定のうな丼のポスターを見て、その店側の営業戦略に潔く便乗することにした。
 
 「あっ、じゃあ、”ゔぬぁ丼”の並でお願いします」
 
 「……はい?」
 
 「”ゔぬぁ丼”の並です。」
 
 「……もう一度お願いできますか?」
 
 「ですから、”ゔぬぁ丼”の並です!」

 確かに元々から、私の滑舌の悪さには抜群の定評がある。
 しかも、大垣の女がすぐ隣にいる緊張と、いろいろと無理矢理にこじつけ過ぎた不自然な振る舞いが生んだ焦りが重なり、その滑舌の悪さは悪化の一途を辿ったのである。
 また、うな丼すらもスマートに注文できなかった一部始終を恋い焦がれる相手の前でさらしてしまったことによって、それがさらに動揺を生んでしまったのだ。
 我ながら何ともまぁ、お手本のような悪循環である。
 しかも、大垣の女は、頼んでいた豚丼の並をもう食べ終わるぐらいのタイミングだったので、気を遣わせて待たせてしまう始末。
 お察しのとおり、こんな調子では、せっかく二人きりになれたのに、会話だって弾むわけもない。
 私は、ことごとく出鼻をくじかれ過ぎたことからも、早く注文したうな丼を食べ終えてお店を出て、何とかしてこの流れを変えたいのが正直なところだった。
 
 「お待たせしました。”豚丼”の並です」

 

 注文してから間もなくして目の前に置かれた豚丼を、私は思わず無言でしばらく凝視してしまう。
 しかし、クレームは一切しなかった。
 なぜなら、瞬時に私の滑舌に非があったと確信したからだ。
 また、ここでクレームするということは、その滑舌の悪さをはじめ、うな丼をスマートに注文できなかったことや、重々自覚している辻褄の合わない不自然なここまでの振る舞いのことなど、浮き彫りになって欲しくないことが全て浮き彫りになって、余計にややこしくなりかねない。
 あれだけ聞き返されたのに、その結果が豚丼だったのだから豚丼なのだ。
 いや、大垣の女がこの一連の騒動に気づいているのかいないのかは定かではないが、特に「あれ?頼んだのってうな丼だよね?」などと突っ込まれることもなかったので、もはや、最初から注文したもの自体が豚丼だったのかもしれない。そうだ。もう何もかも気づかれてしまう前に、注文したのは豚丼だということにしておいた方が身の為に違いないのだ。
 それに、誤解を恐れず言ってしまえば、うな丼であろうと豚丼であろうと、その時の私にとってはどちらでも良かったのだ。そんな”吉牛への冒涜”を犯してしまうほど、当時の私は、大垣の女のことが好きだったのである。 
 
 帰りの電車でメールアドレスを聞くことに成功したものの、そのメールアドレスを聞く時も、吉牛での注文同様に全くもってスマートではなかったことは言うまでもないだろう。
 また、終始そんな調子だったので、吉牛から急速に動き出したこの恋の行方が、ハッピーエンドの結末を迎えるわけもなく、その夏休み中のある日の夜勤バイト(当時私は、セブンイレブンで夜勤のアルバイトをしていた)の休憩時間に来ていたメールと、バイトから家に帰ってきた朝方に、自宅の駐車場の車の中で送った、今となっては墓場まで持っていかなくてはならない若気の至りに満ちたメールを最後に、この恋が幕を閉じたことも、やっぱり言うまでもない。
 そして、あの頃から随分時間が経った今でも、ゼミの講義に向かう水曜日のお昼過ぎに、名鉄の電車内で当時の心情と重ねるかのようによく聴いていた、HYの[モノクロ]をふと耳にすることがあろうものなら、どこか懐かしく胸を少しだけ締めつけられてしまうのは、ここだけの話である。 
 
 それから肝心なことを言い忘れていたが、いっこうに減る気配もなければ、なかなか食べ終えることのできないイリュージョンに陥った豚丼の並に出会ったのは、今までの人生で後にも先にもあの時だけだ。




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