『シューレースの魔術師』
今住んでいる賃貸マンションには、狙いを澄ましたかのようにバタースプーンを消してくる魔術師が現れることは以前にも書いた。
ちなみに居住二年間で二本のバタースプーンを立て続けにその黒魔術で跡形もなく消されており、二代目が消息を絶った時はさすがに黒魔術で消されたことを遂に確信してしまい、結局今使っている三代目バタースプーンを買うのに数ヶ月躊躇してしまったほどだった。
また、その黒魔術にすっかり屁っ放り腰になってしまって今まで言い出せなかったけれど、その後も実は弁当用の箸を一本だけ三度目の黒魔術によって消されていることをここで告白したい。(いよいよ箸一本だけなのが陰湿だ)しかし、その弁当用の箸一本に限っては数日後に部屋の床で転がっているのを発見し、いよいよ魔術師がこちらをおちょくりにきてるのが悔しい。(同時に魔術師との距離がちょっと縮まってる気がするのも悔しい)
ところで、魔術師はいつも忘れた頃に現れる。
箸一本が消されかかったあの日から月日は経って新しい年になり、魔術師のことなんてすっかり忘れていた一月のとある土曜日の寒い朝、久々に「やられた」と思った。
休日で天気も晴れだったので、早起きをして光の広場を散歩することにした。コーヒーが飲みたかったので近所のコンビニでホットコーヒーと朝食用に惣菜パンを買ってから光の広場へと向かうことにしたのだけれど、その道中の信号待ちで何気なくふと足元に目をやった時にある異変に気づいたのだ。
……右足のエアマックスの一番先端のシューホールにシューレースが通っていない!
すぐさま「奴の仕業だ」と察知する。
仕事で家を空けている昼下がり、シューズボックスの中でこそこそとシューホールからシューレースを抜いて、(想像では魔術師は小人だ)あえて一番先端には通さずにシューレースを再びシューホールに通し直しながらほくそ笑んでいる奴の表情が脳裏をかすめる。(見たことないけど)
いや、冷静になれ。そういえば以前にこのエアマックスを洗った時、シューレースも外して洗ったので自分自身が通し忘れた可能性も大いにある。まずはじめに、そう考えるのがまともではないか。
そう思い直し、咄嗟にこのエアマックスを洗った時期はいつだったかと記憶を遡る。
……いや! 最近洗ってないし! 洗ったのむしろ去年の夏ぐらいだし!
無論、それから何回もこのエアマックスは履いてる。
よって、もしも洗った時に通し忘れていたのならば、その直後に絶対に気づいてるはずなのだ。
……と、ということは!!
一番先端以外の全てのシューホールにシューレースを通し直し終わり、左足のエアマックスの結び方と見比べながら忠実にシューレースを元のように結び直してほくそ笑んでいる奴の表情がまた脳裏をかすめる。(相変わらず見たことないけど)
穏やかな休日の晴れた朝、光の広場のベンチに腰掛けてカレーパンを頬張りながらホットコーヒーをすする一方で、胸中はざわつく。
やっぱり、魔術師はいつも忘れた頃に現れる。
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