第7席 節分の話
今日は節分ですね。
日本では昔から節分の時には豆まきをする習慣があります。
そして、その豆まきの時のかけ声と言えば、「鬼は外、福は内」ですよね。
でも私、このかけ声を聞く度に思うんです。
「鬼は外」と言われて家を追い出された鬼は、その後は一体どこへ行くんだろう、と。
2月の外は寒く、他の家の中に入れてもらおうと行ってみれば、そこでも「鬼は外」と言われ、豆をぶつけられる。
それを何度も繰り返した鬼は、結局どこへ行くのでしょう。
寒い冬空の下、凍えながら、震えながら、夜を明かすのでしょうか。
もちろんこれは例え話で、ここで言う“鬼”というのは実在するわけではなく、人間にとって不都合なこと、不幸や災難の象徴です。
ですが、そうだとしても結局は同じことだと思うのです。
不幸をみんなの家から追い出したところで、それでこの世から不幸がなくなるわけではありません。
必ずこの世界では、どこかで誰かが不幸な目に遭っています。
そんなことからは目を背けて、「せめて私のところには来ないでね」と、不幸を追い出して、追い出された鬼は、仕方なく別の誰かのところへ行って、そのどこかの誰かを不幸にする。
そんなことで、本当に良いのでしょうか?
きっと良くないと思うのです。
だから、私は今日、あえてこう叫びたい!
「鬼は内!福は外!」
と。
どこかの誰かを不幸にしている原因がもしも鬼であって、その鬼さえ居なくなればその人が幸せになるのであれば、私はその鬼をその人から離してあげたい。
でもその鬼には居場所が必要で、必ず誰かのところへ行かなくてはならないと言うのなら、私のところへ来てもらって構わない。
だって、私にはお金もないし、恋人も居ないし、才能もないけど、それでも今十分に幸せだから。
十分に幸せだから、多少の不幸を背負っても大丈夫なだけの余裕があります。
更に言えば、毎日こんなにたくさんの幸せを感じられているんだから、この幸せを、他の誰かにも分けてあげたいとも思います。
だから、「福は外」です。
もちろん、私は不幸になりたいわけではありません。
私も、皆さんと同じように、幸せになりたいと思って生きています。
けれど、私は幸せになるためにはどうすれば良いか、人よりも少しだけ多くのことを知っています。
人よりも少しだけ、簡単に幸せになることができるのです。
その方法については、これからもこのnoteを読み続けていってもらえれば、だんだん分かってくると思います。
そういう訳ですから、私は喜んで、「鬼は内、福は外」と言うことができます。
自分が幸せになりたい気持ちよりも、人に幸せになってもらいたい気持ちの方が、少しだけ強いのです。
皆さんも、共感して頂けるところがもしあれば、言ってみてはどうでしょうか?
「鬼は内。福は外」
そうした考え方や、意識、行動が、少しずつ世界の中に増えていけば、それが、世界を平和にしていく一歩となるのではないでしょうか。