第6席 男女差別の話
今日は2月2日、夫婦の日ですね。
いつもは比較的ほんわかした話をすることが多いこのnoteですが、今日はシリアスな話をします。
先日、男女差別について書かれた本を読んでいると、非常に腹立たしい文章に出会ったんです。
それは「聖書」の中の一節。(申命記第22章28・29節)
「ある男がまだ婚約していない処女の娘に出会い、これを捕らえ、共に寝たところを見つけられたならば、共に寝た男は・・・ 」
この後、なんて続くと思いますか?
現代でしたら、強制性交等罪に問われ、5年以上20年以下の懲役に処せられる罪です。
罰金刑で済まされることはありません。
それが聖書の中ではこう続きます。
「・・・その娘の父親に銀50シェケルを支払って、彼女を妻としなければならない」
なんだそれは、と。
もうおかしいところだらけです。
まず最初に、この事件の被害者は娘ではなく、父親となっていることです。
なぜそうなるかと言えば、当時、女性というのは近親の男性の所有物だと考えられていたからです。
ですから、男の罪は女性を傷つけたことではなく、他人の所有物を傷つけたことなんです。
更に、銀50シェケルで解決されるということ。
銀50シェケルとは、銀に直すと550gほど。
金額で言うと農業労働者の給料5ヶ月分くらい。
現代では100万円前後といったところでしょうか。
それだけで全てが解決されるのです。
そして最後に極めつけ、
「彼女を妻としなければならない」
もうめちゃくちゃです。
女性の方の気持ちはどうなるのでしょう。
なんで自分を捕らえて犯した人の妻にならなくてはならないのでしょう。
それも向こうの方が罪として、嫌々ながらもらってやる、ぐらいの形で。
私はこの文章を読んで非常に衝撃を受けましたが、別にここで聖書やキリスト教を非難したいわけではないのです。
なぜなら、今回たまたま本に掲載されていた文章が聖書であっただけで、当時は、キリスト教に限らず、全世界全ての社会で、ここに書かれてあったようなことは当然のこととして考えられていたからです。
更に言えば、当時だけではなく、その前後の何千年間に渡って、女性はこのような仕打ちを受けてきた歴史があるのです。
これは聖書だけの問題ではなく、全時代、全社会の問題だと思います。
人間が社会というものを形成するようになってから1万年。
その中で、紛いなりにも“男女同権”ということが、狂気の沙汰としてではなく受け止められるようになったのは、たったのここ100年だけなんです。
せっかく、こんな珍しい時代に生まれたんです。
男性は、女性を大切にしなければいけません。
それもめいっぱい、心を込めて大切にしなければいけません。
それで罪滅ぼしができると考えているわけではありませんが、それでも誠意を持つことは必要だと思います。
私は生まれ変わりを信じています。
前世から今世へ、今世から来世へ、記憶は残りませんが、それでも魂に染み付いてしまった生き方の癖や、強い強い思いは引き継がれていくものだと信じています。
ですから、現代を生きる女性たちの、その魂に対して、その魂に刻まれてしまった傷に対して、誠心誠意の思いでもって、その権利を守り、尊重し、その全存在を認め、大切にすることは、とても重要なことだと思うのです。
これからも、“男女同権”という意識が、実行が、広がり続けていくことを願います。
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