今日もただ思うままに書き連ねてみる
今日は、この春から、私と仕事内容を一部交換することになった先輩と2人での出張だった。
車で1時間くらいの距離。
とりとめもなく、仕事のこと、考え方のこと、家族のこと、趣味のこと、いろいろ話した。
最近ずっと思っていたんだ。
私は、この職場にいてもよいのだろうかと。
失敗や間違いで迷惑をかけることもしばしば。
接客には多少は自信があるけれど、それでも間違いをしてしまうこともあったりして、落ち込むことも多い。
別に私しかできない仕事じゃないし。
そう思って、誰かに譲りたいと願ってしまって。
車の中で先輩は言った。
『自分しかできない仕事なんてほとんどないんだから(誰でもできるから)、自分がやらなきゃと抱え込む必要はない。プライベートを大切にしたほうがいい。』と。
みんなが仲間をフォローできるように工夫をして、みんなが安心して休めるようにしたい。
それが先輩の目指す職場の姿だ。
あれ?
私の『自分しかできない仕事ではない』の意味と何かが違う。
そして、ランチやおやつまでごちそうになり、数日ぶりに早く帰宅した。
2人の子どもを迎えに行き、3人で家につく直前に、夫が愛犬を連れて散歩に出るところに遭遇。
嬉しくて、思わず駆け寄る私達。
愛犬も両耳を後ろに倒して、ぴょんぴょん跳ねながら、こちらに向かってきてくれた。
どんなことがあっても、こういう何気ない瞬間がやってくる。
すごくためになる一言をもらえたりもする。
なぜそういう瞬間をすぐ忘れてしまうんだろう。
今は次々と過去になっていくのに、どうして今の苦しさに囚われてしまうんだろう。むしろ、しがみついているようにさえ見える。
明日、もしくは5分後、いいことがあるかも知れないのに。
今から笑う!と心を決めたら、いつでも笑えるはずなのに。
そんな簡単なことなのに。
何を深刻になる必要があるのかな。
今日はそんな風に少し思えた。
またそれも忘れてしまうのかも知れないから、こうして書き留めてみる。
今がすべてではない。
自分や世界は、常に変化している。
そして、ふと思い出した。
私の敬愛する、かれこれ15年以上のお付き合いの美容師さんがこの前、こんなことを言ってたっけ。
彼女は、独立して以来、ほとんど一人でお店を切り盛りしてきた。年齢は教えてもらえていないが、恐らく60歳は過ぎている気がする。
でもいつも前向きで、やれることはなんでもやってみたい人。やるなら本気でやりたい人。どこまでもストイックに、お客さんにとって最高のヘアスタイルを目指す。細かく繊細に、最後まであきらめない。そして、自画自賛も忘れない(笑)
もちろん、誰から見ても最高のカット技術で、全国から、または外国からも客足が絶えないプロ中のプロだ。
私の平凡な人生において、こんな人に知り合えたことがちょっと奇跡のように思える、別格で格別の世界の人。
そんな彼女は、お客さんから1日中立ち仕事して大変ですね、と言われるけど、全然そんなことはないと言う。
足が痛くなったとしても、『痛いな』というだけ。頭が痛くてもそれは痛いだけで、仕事はする。それをあえて体調が悪いとは思わない、と。
と、笑っていた。
みんな囚われすぎなんじゃない?と。
それはそれ、これはこれ。
一緒くたにするから、混乱してどうしていいかわからないだけ。
辛いも悲しいも痛いも、ひとまずそうだね、と受け入れて、横に置いておく。
そして、やることをやるだけ。
彼女の言葉と先輩の言葉は、どこかで繋がる気がした。
ありがたかった。
こういう日もある。
話すということ、立ち止まらないということは、本当に大事だ。
時の経過は、案外、私たちの味方かもしれない。