聞くし話すし
今日は、たまたま子どもたちが出かけることになっていたので、職場の後輩を我が家に招いてお茶をした。
彼女は、4月に来たばかり。でも、社会人経験もあり、場馴れしていて、毎日明るく元気に働いていた。私はその様子がとても嬉しくてありがたく、好感を持っていたので、前からゆっくり話したいと思っており、今日はそれがようやく実現したのだった。
案の定、彼女はとても気さくで、可愛い女性だった。歳は10歳も離れている。それでも、ここへ来る前にずいぶんと苦労をし、人並みに嫉妬もし、怒りもし、辛い思いもしながら、日々いろいろなことを考えて過ごしているようだった。
私が特別苦労して生きてきたかどうかといえば、ある人から見れば、そうでもないかもしれない。昔から母とどうしても折り合いが悪いということが、常に喉に刺さった魚の小骨のようにひっかかっている、ということを除いては。
でも、彼女と境遇は違えど、様々な感情をどうやりくりするか、自分では選択してきた道をいかに認め、幸せにしていくか、ということに努めているという姿勢はとても共感でき、会話に花が咲いた。
好きな俳優やドラマの話、楽しい友達の話、学生時代の話、いろんなことを話した。
歳がこんなに違うのが嘘のように気が合った。
何より心地よかったのは、会話のバランスである。彼女はよく喋ったが、よく聞きもした。相手への興味も持ち、程よく質問を挟みながら、話を広げていくことができる人だった。
私も、適度に好きなことをしゃべり、良いタイミングで彼女の話に耳を傾け、よく笑った。すごく心地よい時間だ。
私は、小さい頃からなぜか話を聞かされる立場に置かれることが多く、ひたすら聞き役にまわっていた記憶がある。大きくなるにつれて、それはどうしてだろう?この人はなぜ私に質問をせず、私の話を聞かないのだろう、ひたすら自分の話ができるのはどうしてだろう、と違和感を覚えるようになっていった(私が話し下手だった、というのもあるのだろうか)。
社会に出てみると、やはり圧倒的に人の話を聞かない人が多いことに気づいた。というより、自分の話をするのに大忙し。相手のことにはさほど興味がない。
私は仕事上は、それでも付き合ってきたが、プライベートでは、そういう人とはできるだけ距離を取るようになった。
そんな中、彼女は別格で素晴らしいバランスの持ち主だった。3時間も話したのに、まだ話し足りないくらい、お互いに夢中になった。
相性というのはあると思う。年齢なんて関係ない、そうは思っていても、自分より若い人が気さくに楽しそうに話してくれ、聞いてくれることは、とても嬉しかった。
歳を重ねるにつれ、恥じらいがなくなったり、図太くなったりして、それこそ喋ることに夢中になってしまうところは、誰しもあると思う(私もわずかながら自覚がある)。
でも、やはり気持ち良い人間関係のために、思っているよりちょっと控えめに話す、相手のことを聞き出す、ということは大切だと思う。
『ついこんなことまで話してしまった』そう言われたら本当に嬉しいし、私の知らなかった相手の素顔が見えたときなどは、さらにその人のことを聞きたくなる。
だから、いくつになっても相手への好奇心を忘れないようにしたい。そして、『聞かされ上手』なのではなく、本当の意味の『聞き上手』でありたいと思うのだった。