見出し画像

感動のゆくえは

 これまた突然だが、NETFLIXにある日本のドラマ『First Love初恋』を観終えた。

 一言でいうと、とても素晴らしかった。

 最近、めっきり韓国ドラマばかりになっていたが、日本人でもこんなに素晴らしい作品がつくれるのかと感心した(何様)。

 おかげで、脚本兼監督の寒竹ゆりさんについて知りたくなったし、今回改めて、主演の満島ひかりさんのリアリティ溢れる自然な演技にすっかり魅了された。
 
 私は心動かされると、それを引き起こした人に対してとてつもない羨望を抱いてしまう。感動だけで満足しないのだから、厄介だ。

 それはなぜなのか。
 
 いつもいつも考えてみるが、今は、まだ本当のところは分からない。

 人からはよく夢見がちだといわれる。それはそうだとして、とはいえ、一体その正体は何なのか、何を欲しているのか、私が一番知りたくてたまらない。

 自分の好きなもの、憧れるものの中に自分のやりたいことがある、なんて聞くこともあるので、余計にそこから何かを探そうとしてみるのだが…。

 ひとつ分かっていることは、何かを表現する先に、誰かの感動があるということ。

 今年、唐突にnoteを書き始めたのは、『書く』ことが私にできる一番身近な表現方法だと思ったからかもしれない。
 
 少なくともその点では、書くことは立派な手段といえる。実際、私も数々の本に感動してきた。言葉や文章には、いわずもがな、心を動かす力がある。

 かといって、私が書くことによって誰のどんな感動を引き起こすかまでは見ることができない。当然、どんな表現者もそうであると思う。
 私の書くことは、本当に些細なことだし、望ましくはないが、感動どころか、むしろ嫌な印象を与えることだってあり得る。

 だから、表現することは、リスクのある恐ろしいことなのだ。
 
 それが大きな手段になればなるほど、与える影響力が増すわけなので、恐ろしさも増していく。

 監督や主演俳優などは特に最前線で表現をし、その恐ろしい世界を渡り歩いているのだから、とんでもない勇者なのかもしれない。
 
 ということは、その世界の人になりたいなら、まずは勇者になるところから始めるべきということか。

 普段の暮らしの中で、人に物を渡す仕草、相手にかける一言、そういうちょっとしたことで感動を残せる瞬間は数々ある。まずは、そこで勇者になっていくべきか。
 
 かつ、より多く喜んで、感動してもらえたなら。
 
 その先には、一体何があるのだろう。
 
 かつてない感動を受け取ることができるのだろうか。

 そもそも、なぜ私はこれほどまでに感動を追い求めているのか。

 ここまで読んでくださった方には、結局、結論を見ないことになり恐縮しきりだが、この件については、まだまだ私の迷走は続きそうだ。
 






いいなと思ったら応援しよう!