人が医薬品という道具を手にした時 - 三重大学病院での睡眠導入剤紛失事件から考える- .
睡眠導入剤紛失事件と薬物取引市場
3月31日、三重大学病院において合計4500錠もの睡眠導入剤が紛失されたことが発表された[1]。同日付の朝日新聞で報道された本ニュースはYahoo! ニュースにも転載された。
三重大病院(津市)は31日、不眠症の患者らに処方する睡眠導入剤「ゾルピデム錠」100錠を紛失したと発表した。このほか、3種類の睡眠導入剤計約4400錠も紛失した可能性が高いことも明らかにした。病院は同日付で津署に被害届を提出した。
ここで紛失された可能性が高いと病院が発表した睡眠導入剤「ゾルピデム錠(マイスリー錠)」「ブロチゾラム錠(レンドルミン錠)」「トリアゾラム錠(ハルシオン錠)」はいずれも、麻薬及び向精神薬取締法[2,3]で第3種向精神薬に指定されている。
このことから、本紛失事件に薬物転売が関係している可能性もあると筆者は考えている。過去に、同様の医薬品が職員によって持ち出された事例もある[4] 。2019年に名古屋で起きた持ち出し事件の記事を以下に抜粋している。
報道によると、調剤助手が11月20日、向精神薬の在庫数を確認した際に、管理簿の記録と一致しないことに気付いたとのこと。不一致の原因は、薬剤師の記載ミスということでしたが、その後、改めて管理簿の記録と患者の電子カルテを照合したところ、薬剤師が6月中旬~11月中旬にかけて、向精神薬サイレース(フルニトラゼパム)10錠、ハルシオン(トリアゾラム)10錠、マイスリー(ゾルピデム)175.5錠を無断で持ち出していたことが判明(※括弧内は一般名)。
近年では、薬物依存や薬物過剰摂取いによる健康被害も相次いでいるが、今回三重大学で紛失された医薬品4500錠が仮に違法な薬物取引市場へと出回っているのであるとすれば、二次的な健康被害などが頭をよぎる。
当研究室においても、「#お薬もぐもぐ」というハッシュタグの元SNSを通じて行われている違法薬物転売の実態について、記事を発信することで注意喚起を促している[5]。この実態については団体の中でも議論の対象となっており、現在さらなる実態調査を進めているところである。
本事件の問題点①医薬品管理システムの問題
本事件の問題点をいくつか洗い出してみる。
①病院側の医薬品管理システムの問題
1-1. 杜撰な医薬品管理の実態の露呈
1-2. トレーサビリティの欠如
②人の問題
まず第一に、病院側での医薬品管理システムがあまりに頼りないということである。つまり、1-1. 4500錠もの医薬品が紛失されるまで誰もこの実態に気づかないようになってしまっていた、ということである。今回紛失された医薬品は、医療従事者であれば誰もが依存性の高いもので管理に注意が必要であることくらい理解できるものである。
それでも、(誰が悪いというわけではなく、)病院側のシステムの問題として、医薬品の在庫管理ができていなかったのである。大学病院ですらこの実態であるということは、他の大学病院や、民間のクリニック等であれば、なおさら医薬品の在庫数にまで目が行き届いていない可能性がある。つまり、今回の医薬品紛失事件はあくまで氷山の一角にすぎない恐れがある。そう考えると筆者はゾッとするものがある。
これを医薬品の物流過程にまで抽象化して考えると、人が盗難可能となるタッチポイントがいくらでもあるのだ。例えば、工場での医薬品生産なども見学に行ったことがあるが、作業員が一人で錠剤の点検を行う時なども、簡単に盗難できてしまう。
もう一つ、病院側の限界として、1-2. 仮に医薬品が紛失された場合、その盗まれたものがどこへ行くのか?をトレースできないということである。紛失された4500錠がどこへ行ったのかは、本当は誰にもわからない。職員の誰かが隠れて服用したのか、闇取引の市場に回されたのか、単に誤って廃棄されてしまったのか等々様々な可能性が考えられる。
今後は医薬品やその包装容器にマイクロチップが埋め込まれ、医薬品の実態がtraceできるようになるといった将来がやってくるのかもしれない[6]。こうした技術は国外で特に問題となっている偽造医薬品( counterfeit medicine)にも有効と考えられており、2000年代初頭ごろから多様な技術開発が進んでいる。
本事件の問題点②人の問題
前項でも述べたが、紛失された医薬品がどのようにしてなくなったのかということは、現時点では誰にもわからないだろう。
しかし、まず言えることは、紛失された医薬品は麻薬及び向精神薬取締法でも取り締まられているような依存性の高い医薬品であり、違法薬物の闇取引市場で頻繁にやりとりがなされている医薬品であるということである。
ここで導き出される考察は、「人が盗んだ可能性がある」ということである。さらに残念(?)かもしれないことに、盗まれた医薬品が普段保管されている場所を一番よく知っているのは他ならぬ病院職員である、という点だ。
病院には、盗む人がいる可能性がある事が想像できてしまうのだ。
では、(想像したくないが、)盗難されたと仮定しよう。
高く売れるからかもしれないし、盗んだ人自身が「ちょっとした気持ち」で初めて依存してしまったのかもしれない。
何れにしても、最初はきっと、数錠単位で盗み始める。バレない。
すると何回か盗む。そして、たった数錠ではやっぱりバレない。
これを繰り返しているうちに、4500錠という量に膨らんでしまったのだろう。
しかし冷静に考えてみてほしい。オフィスに置いてあるボールペンのような消耗品じゃあるまい。医薬品、それも高度に管理されるべきものである。これを医療のプロフェッショナルたるべき人でさえ盗んでしまうことがあるのだろうか。
このケースを想像した場合、「人は、飴や武器を前にすると、こんなにも弱くなるものか」と考えざるを得ない。プロフェッショナルであっても必ず悪用する人がいる。人間でいる限り。
我が国で医薬品のインターネット販売が事実上解禁されて以来8年が経つ。昨今はオンライン診療で医療機関に足を運ばずとも、自宅にいるだけで処方薬さえもが手に入るようになりつつある。
医薬品に対する大衆のアクセスが拡大するのもいいことだけれど、違法/非人道的な転売リスクやそれに伴う健康被害のリスクもある。技術の進歩は止められず、規制緩和はますます加速されるであろうが、こうしたリスクも勘案して制度設計を進められたい。
今回の記事では、想像を膨らませて可能性の範囲ではあるが、人類が医薬品という道具を手にするとどうなるのか考えてきた。あくまで想像を膨らませた記事であることに念を押して筆を置く。すなわち、あくまで職員が盗んだと「仮定した」場合の議論であって、報道からは事実関係については一切わからない。本記事を当該医療機関やその職員批判に関連づけることは本意ではない。
なお、当研究室では引き続き、人間や社会といった視点を皮切りに違法薬物取引の実態調査を進める所存である。
秤谷隼世
[Reference]
[1] 睡眠導入剤、4500錠が所在不明 三重大病院が被害届, 朝日新聞, 2021年3月31日
https://www.asahi.com/articles/ASP306DXFP30ONFB01G.html?ref=rss
[2] 麻薬及び向精神薬取締法
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=328AC0000000014
[3] 薬局における向精神薬取扱いの手引, 厚生労働省https://www.mhlw.go.jp/bunya/iyakuhin/yakubuturanyou/dl/kouseishinyaku_02.pdf
[4] 古川 裕之, 職場の医薬品には、手を出さないで !!, 日経DI, 2019年1月9日 https://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/di/column/furukawa/201901/559286.html
[5] 池尻達紀,「#お薬もぐもぐ」に対する注意喚起 -SNSにおける麻薬製剤転売の可能性について- , Opinions, 2021年2月2日
https://web-opinions.jp/posts/detail/394
[6] 医薬品サプライチェーンを「RFID」で変える, Beyond Healt, 2019年10月10日
https://project.nikkeibp.co.jp/behealth/atcl/feature/00003/100700036/
(すべてのURL参照日は、2021年4月15日)