ひとかどさんのジブン語り〜ひとかどさんの新生活編〜
今月の「ジブン語り」のテーマは、結婚して暗黒期を脱したひとかどさんが、住みなれた土地から引っ越し、大都会での新生活が始まった中での、「新しい働き方」です。
場所とライフスタイルが変わったひとかどさんの働き方。都会に出たこと、結婚したことで選択肢が多くなり、一体どうなったのでしょうか。
「扶養内でパート」という働き方
まず、考えたこと。
それは、いわゆる「扶養内」でパートタイムの勤務をすることでした。
休日休みのOttoの仕事のスケジュールに合わせ、土日祝は二人の時間を取りたい、平日は、夜ゆっくり過ごしたいので9時から17時の間の中で働きたい。
このようなライフスタイルがいいと思い、扶養内の収入かつ月から金の平日9時から17時の間で週2〜3という条件でパートを探すことにしました。
すると、近所を散歩していた時、鍼灸院で受付のパート募集を見つけます。
パート募集 ”受付業務” ”週3” ”9時から18時の間で5時間ほど”
考えなしに動く性質が変わるわけもなく、わたしは張り紙の条件をサッとみただけで「ここ近いしいいじゃん」と電話番号をメモし、その足で履歴書を買い、応募を決めます。
あっさり決まったパート先
早速電話すると、「じゃあ履歴書を持ってきてください」と言われ、電話した次の日には面接へ、簡単な業務内容の説明と、週2〜3くらいという勤務形態を聞き、面接が終わった1時間後には「じゃあ来週から」といわれ、パート先が決まりました。
そこは老夫婦がやっている鍼灸院で、先生の奥さんと、わたし含めた3人のパートでシフトを回しているというところでした。
しかも、とにかく全てがアナログ。電話で来客予約を受ける、それを紙のスケジュール表に手書きで管理する、お得意さんへの年賀状も手書き等々とにかくアナログな鍼灸院でした(この時代に、パソコンで何かするということもないという…)。そのほか、診療で使った、ベッドの清掃や使用したタオルの洗濯するなどの業務内容でした。
お客さんも、昔からずっと来ている常連さんが多く、イメージは「ドクターコトーの診療所」みたいな感じです。
そんな仕事内容に、最初は何の不満もなく、「家にいるよりいいや」と週2〜3回で、9時から18時の間で働きました。
基本体制は先生と受付1人で、私の他にパートさんが既に2人いたので、基本シフトとしては、60代のAさんが水・金の16時迄(孫の世話があり、それ以降は働けない)、50代のBさんが日曜のみ(趣味が多く、空き時間に働いているため)、そしてわたしは月・木を基本として、先生の奥さんや他のパートさんが出勤できない時に代わりに出勤するという感じでした。
ところが不満を感じ出す
職場まで家からも近く、週2日の平日勤務で「こりゃ楽でいいや〜」と思って働いていたのも束の間…。少しずつ不満が出始めるのです。
一応、基本シフトはあったはずが、家が近いからか、頼みやすいからか、「明日出れる?」というお願いをされるようになったのです。
人との調整が苦手な私はこういった頼みを断ることができず、本当は出勤したくないのに、「明日変わって」「この日出れる?」と言われれば、断れず…。
基本シフトは、月・木だったはずが、気づけば、土曜日(元々は奥さんの勤務日)も働くことになっていて、さらには、(特に水・金で)「これから3時間だけいい?」と言われれば、断ることができず、二つ返事でいくような感じでした。
土日祝はなるべく働きたくない。平日は18時には帰りたい。もっとOttoとゆっくり過ごしたい…。
なのに…これって。。。
長すぎる拘束時間がストレスに…
さらにもう一個、不満要素がありました。
仕事内容そのものにストレスはないものの、拘束時間が長過ぎるのが嫌だったのです。
18時までの診察時間ですが、先生は患者さんを優先するので、診察時間を過ぎていても受け入れたりしていて、帰りは、19時とか、20時近くなることもしばしばありました。
それでも、「仕事は上司に従うべき」というわたしの”非合理な信念”からか、「今日は帰っていいですか?」や「私生活を優先させたいので18時にはあがらせてください」というような調整するアクションを起こさずに、ただ不満を抱え我慢して働いていました。
しかし、そのストレスをOttoに向けてしまい、心ないことを言ってしまったり、Ottoを悲しませてしまうことに自己嫌悪を感じていました。
ひとかどさんの「がんばる原動力」は…
そんな日々が1年半ほど続いた時には、気づけば完全に週3日になっていた勤務日が、いつしか週4日になり、嫌で嫌でたまらなくなりました。
だけど、バイト代は7〜8万円貰えていて、そのおかげで、海外旅行に行ったり、家計の助けになっていることは確かでした。そのために耐えようと思い、
「そうだ、お金ちょっとずつ貯めて、自分へのご褒美に大好きなセリーヌのバックを買おう、そしたら、嫌じゃなくなるはずだ」
そんなふうに自分を何とか奮い立たせ、がんばっていました。
ごちゃごちゃ不満を言いながらも、自分はセリーヌのバックのために頑張るんだ!とOttoに言うと、
それを聞いたOttoは…
「ひとかどさんは、セリーヌのバックが手に入れば満足するの?」
と。それに対して、わたしは、
「まあそうだね、やっぱ働くって、そういうご褒美があるから嫌でも頑張れるもんじゃん」
するとOttoは、
「なるほど。じゃあさ、セリーヌのバックを僕が買ってあげたら、仕事辞めるの?」
本当に買ってもらえるなんて思ってもみないわたしは、
「え、そんなの辞めるよー。」
そしたら、
「わかった。じゃあ日曜日買いに行こう。その代わり、そんな不満を持ちながら”自分の時間と心を大切にしない働き方”は辞めにしたら?」
「・・・!」
セリーヌのバッグは表面的なことだった気がします。
それよりも、わたしの心に響いたことー
それは、”自分の時間と心を大切にしない”という言葉。
こうして、わたしは約2年間苦しみながら働いたバイトを辞める決心がついたのです。
そう、Ottoの言葉を拡大解釈してー
働かないと決めて過ごした「3年間」
こうして「バイト事件」の後、わたしの心はすっかり疲弊し、「もう働きたくない、誰とも関わりたくない」と思うようになっていました。
暗黒期、何度も転職し、その度に苦悩し最後に辞める時には必ず、嫌で嫌でたまらなくなり辞めるというパターンでした。それは結婚して、週3回のパートをすることすらこんな形で自分を苦しめ、辞めました。
みんなにできることが、自分にはできない
そしてただ、「休みたいです」「この日は出勤できないです」と言うだけ、宣言するだけなのに、「いい人」でいたい私はその単純なことが言えませんでした。
自分は「社会不適合者」なんだと思い、それならいっそ、「一生働かない」ことを決めてはどうかと。
そして、毎日Netflixを12時間見続けるという、人から見れば廃人のような生活になっていきます。
しかし、その生活はそれなりに楽しいことでした。
MAPを学び、ひとかどさんの心が動き始める
働くことを封印したわたしは、たくさんの言い訳を使いながら、3年ほど働かずにずっと家にいることを選択します。
Ottoの転勤を理由に、なかなか働き先も見つからない、自分は疲れやすいから、私が働かなくてもなんとか生活できるから。
毎日Netflixを12時間見続ける、ただただダラダラと日々を過ごして、「これこそが自分の楽しいこと」で「自分を大切にしている」ということなんだ、と。
しかし、そんな日々が続いていた時、ひょんなことから心理学に出会ったことで、心が動き出します。
勉強を始めて、1ヶ月。
勉強のノートを開くと、そこに書いてあったことは…。
”何か”したい。
封印していたのは、「働くこと」ではなく「自分の本音」だった。
そのことが、今ならよくわかります。
それまで口癖のように「何もしたくない」と言って、ダラダラすることが自分が輝いているときだと思っていました。
いや、思い込んでいました。
しかし、自分の本音は違ったのです。
そして…
MAPの講座が終わった頃には、
「この心理学を使って、社会と関わり、働きたい」
と本格的に思うようになりました。
そんなひとかどさんがたどり着いた境地、それはー。
また次回の「ジブン語り」でお会いしましょう。