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【松坂大輔】明治神宮大会(1997年)で目の当たりにした横浜高校エース衝撃のストレート

松坂投手引退試合(2021年10月19日)

「平成の怪物」といわれた一時代を築いた名ピッチャーが、昨日引退をしましたね。
「松坂世代」と言われるくらい象徴となる投手であり、この世代は、プロ野球界を牽引した凄いプレーヤーが沢山いました。

僕は野球バカで、高校野球に青春の全てを捧げた人間です。

松坂投手は僕の一歳年上。ありがたいことに、松坂世代と後々いわれる方々と、高校時代同じグランドで戦った経験があります。
レベルの違いを目の当たりにした時の衝撃を、今でもよく覚えています。

第28回明治神宮大会にて(1997年11月)

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僕が松坂投手を知ったのは、1997年11月に開催された明治神宮大会。
実は、松坂投手が全国に、その名を轟かすようになったのは、1998年春の甲子園からなので、世の中よりも一足お先に知った感じです笑

松坂投手率いる横浜高校は、高校2年生、神奈川県大会決勝で横浜商業に敗北した後、公式戦で一試合も負けることなく、春夏甲子園連覇まで登り詰めました。公式戦43連勝という球史に残るような最強チーム。そのやがて伝説となるチームの序章にあたる大会が明治神宮大会でした。

僕は、滋賀県立彦根東高校で野球をしていて、当時1年生でした。
秋季滋賀県大会に優勝し、明治神宮大会の出場権を近畿代表として獲得しました。

4000以上ある高校で、明治神宮大会に出場出来るのはたった8校なので、今振り返ると、めちゃくちゃありがたい経験が出来ました。

当時、滋賀の弱小野球部だったのに、監督が変わって一気に滋賀県の頂点にまで行きました。そのため、明治神宮大会でも誰も、僕たち彦根東高校のことは知りませんでしたね笑

僕の高校野球人生は少し下記に書いてますので時間あれば合わせて読んで見てください笑

神宮球場バックネット越しに見た異次元ストレート

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近畿大会の兼ね合いもあり、関西の強豪野球部の情報は沢山調べていました。しかし、関西以外のチームは当時全然わかっていなかったので、横浜高校の事前情報は全くありませんでした。


僕たちの一回戦の相手が、東京代表の国士舘高校。まずは国士舘のチーム情報収集に勤しんでおりました。
もし国士舘に勝ったら次に当たるのが、横浜高校VS豊田西高校の勝者という組み合わせ。

僕たち彦根東高は、結局国士舘に4VS0で負けました。ですので、残念ながら松坂投手と対戦することは出来ませんでした。
僕自身、国士舘戦で7番ファーストで先発出場。2本ヒットを打ったので、勝っていれば次の横浜戦では、さらに打順が上がった状態で松坂選手と合間見えていたのかもしれません笑

試合に負けた悔しさを感じながら、せっかく滋賀から東京に来たのだから全国レベルを学んでこいと監督に言われました。

僕たちの試合の後に行われていた、横浜VS豊田西の試合を観るために、バックネット裏に足を運びました。

まだ松坂投手自体を認識してなかった僕にとって、横浜高校のエースが投げ込むストレートに度肝を抜かれました。

ワインドアップモーションから流れるような体重移動、下半身から上半身にパワーが綺麗に伝わり、踏み出す足、鍛え上げられた下半身の安定感、体幹も細いのにしっかりしていて、柔らかくしなる右腕から放たれるボールの質が異次元でした。


高校野球のはずなのに、プロ野球選手なの??と思うくらい、一人だけ群を抜いた球威、球速、キレ。


キャッチャーミットに収まった時の「パーン」という乾いた音も今まで聞いたことがないような大きさでした。

「モノが違う」「別格」というものを目の当たりにした瞬間でした。


慌ててスコアボードに目をやり、横浜の投手を探しました。
「4番投手松坂」とあり、僕が人生で初めて松坂投手を認識した瞬間でした。

あの時に肌レベルで感じた松坂投手の凄さを今でも忘れません。

実は、試合前日、そんな松坂選手と神宮球場で行われた明治神宮大会開会式で隣だったのです。分かっていたら、開会式のときサインもらっておけばよかった笑

松坂投手沢山の感動をありがとうございました。




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