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【拝啓兄貴】 一年が経ちましたね。

一周忌

2021年4月17日 僕の兄貴が42歳という若さで逝去しました。
不運が重なったとしかいいようがなく、突然のことで本当に一報を受けた時の衝撃は今も忘れることができません。

1年が経ちましたが、未だに兄の死を信じられない気持ちが少しあります。もう話すこともなければ、もうお酒を交わすこともない。後悔がないかといわれると、もっと一緒にこうしたかったなと思うことのほうが沢山あります。

「かっこよくて、憧れる兄貴でいてくれて本当にありがとう」

できればこの言葉だけは、もしも願いが叶うなら、面と向かって伝えたいという心残りがあります。

両親への親孝行は少しでも急がねばということは常に頭にありました。
折に触れ、出来ることは一生懸命やっていますし、これからもやっていきます。

ただ、兄貴とのことはそんなに考えることがなかったです。もっとこれからの人生、長く一緒に走っていくんだろうなという安心が心のどっかにありました。

ちょっと急すぎでした。

いつも憧れの存在

40年の人生を振り返って、三兄弟の末っ子の僕は、本当に家族にも兄弟にも恵まれていると言い切れます。

「真面目」という字を風船ふーーーっと膨らませたらそのまま兄貴になるんではないかという6歳上の長男。
誠実、勤勉、努力家。
中学のときには既に、先生になるという夢を抱いていて、見事に有言実行しています。
3人娘という子宝にも恵まれて、とっても素敵で優秀な奥様とも仲良しの理想の家族像を生きているのが長男です。

長男にとって、弟がまさか先に亡くなるとは、僕同様思ってなかったと思います。

3歳上の兄貴は、世当たり上手という言葉が非常に当てはまる男でした。
何をやっても器用にこなす、運動も出来て、勉強も出来る。クラスでもいつも人気者。人が集まる人でした。僕にとってはいつも憧れの存在。

自分の軸を持っていて、時代の最先端や流行をおさえていて、いろんなことを教えてもらいました。
早稲田大学に進学後は、滋賀の田舎で野球ばかりをしている僕にとっては、兄の変化のスピードがいつもカッコよかったです。
体型も同じだったので、兄からお下がりでもらった服をしょっちゅう、自慢気に着てました。

就職して東京へ行きたいという目標が出来たのも、帰省の度に、成長を感じる兄貴の変化を、自分の将来の姿と重ね合わせたからだと思います。

この一年大切にしてきたこと


命ある限り、自分自身、兄貴の分も一生懸命生きると心に誓いました。
世界に一人の弟として、天国で兄貴が誇れるような弟として生きていくことを決意しました。

自分が弱い人間なので、完璧にとは全然いきません。ただ、毎朝、空を見上げて、今日一日も最大限生きることを兄貴と約束することが習慣になってきました。

今この瞬間も、戦争や紛争で「死」というものを身近に感じながら生きている人がこの世界にには沢山います。
僕は兄の死まではお恥ずかしながら、あまり身近なものと考えられていませんでした。

ただ、明日は我が身であることもあり得ることなんだと強く思うようになりました。名言が本当に身に沁みるようになりました。

「お前が無駄に過ごした“今日”は“昨日”死んだ誰かが死ぬほど生きたかった“明日”なんだ」

明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ

・今日一日を全力で最大限生きること。
・後悔しない、胸を張れる生き方をすること。
・「ありがとう」「ごめんなさい」は必ず言い残し、言い忘れがないように、伝えること。

僕はこの世界で、ビジョンの実現と目標達成のために生きていきます。
まだまだやりたいことは沢山あるので、僕は兄貴の分も頑張ります。

60年後とかになる予定ですが、天国で美味しいお酒一緒に飲もうね。
いつも本当にありがとう。
これからも見守っていてください。

弟より。
植田仁


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