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原作『攻殻機動隊』全話解説 [第4・5話]

前回[第三話]

四話と五話は士郎正宗によるSFエッセイのような趣の短編です。本来は本編の小休止のような回なのですが、このたった10pの漫画が押井版『攻殻機動隊』(GITS)に多大な影響を与えています。GITSの最大の「原作」はこの5話と言っても過言ではないでしょう。

この二話は正直とくに解説することはないので、レビュー的な記事にしたいと思います。


第四話はフチコマがロボット反乱の決起集会を開くという短編です。でもロボットが人間を支配したところで管理が大変だしメリットがないぞ?となるユーモラスなオチ。実はロボットが反乱するか確かめるため、フチコマが反乱を持ち出すよう素子がプログラムしていました。

第五話は「メイキング・オブ・サイボーグ」という副題通り、サイボーグが出来上がるまでを解説した短編。この過程を映像化したGITSのオープニングは攻殻機動隊を代表する象徴的なシーンになりました。
短髪の男性は第八話で相馬が脳にマイクロマシンを注入している場面にも登場。同じ施設らしい。

技師女子の「市場独占ね!」という口ぶりからすると、どうも彼女たちは第三話のレズセックス友達のようです。高性能義体を使った高感度セックスを共有する疑似体験ポルノを売っています(違法)。今作ってるのはその高感度義体。つまりSF感度3000倍をやってるわけです。シロマサ先生、時代を20年先取り。

素子のボディ(外観)が量産品であることがこの回で明言されます。GITSの「ダレ場」では、香港風の都市で遊覧船に乗る素子が、ショーウィンドウを見上げると、そこに素子そっくりの人物が見下ろしている…という印象的なシーンがありました。あれは素子のボディがありふれたものであることを示しています。他にマネキンに使われてるらしきカットもありましたね。巷にあふれる自分と全く同じボディを見つめ、彼女は自分のアイデンティティに疑問を持つ、という構成になっています。

はれて16²のボディを手に入れたレズセ友達と茶店へ。

p104

素子「私時々「自分はもう死んじゃってて今の私は義体と電脳で構成された疑似人格なんじゃないか?」って思う事あるわ」

この冗談みたいな話を壮大に膨らましたのが押井守監督のGITSです。その牽強付会ぶりはあっぱれです。デジタル化された記憶の不確実さを描いた第三話と組み合わせることで、自然な流れでサイボーグが己のアイデンティティに悩む物語に作り替えてしまいました。

こちらは劇場版からの引用

『あたしみたいに完全に義体化したサイボーグなら誰でも考えるわ もしかしたら、自分はとっくの昔に死んじゃってて、今の自分は電脳と義体で構成された模擬人格なんじゃないか、 いや、そもそも、あたしなんか存在しなかったんじゃないかって』

『人間が人間である為の部品はけして少なくない様に、自分が自分である為には、驚くほど多くのものが必要なのよ。 他人を隔てる為の顔、それと意識しない声、目覚めの時に見つめる手、幼かった時の記憶、未来の予感、それだけじゃないわ。 あたしの電脳がアクセス出来る膨大な情報やネットの広がり、それら全てがあたしの一部であり、あたしという意識そのものを生み出し、そして同時にあたしをある限界に制約し続ける。』

あの喫茶店の会話が、これに化けます。
先の展開の話となりますが、GITSでは、素子は制約された「限界」を超えるために人形遣いとの融合を果たします。自分自身への疑いが、人形遣いのプロポーズを受け入れるきっかけになっています。反面、原作では融合の理由はもっとシンプルに語られています。

原作のパーツを組み合わせることで、よりダイナミックで説得力あるクライマックスに仕上がっていると思います。一方で原作の持つメッセージ性が大きく曲解されてしまったような気もしないでもないのですが、それは最終回の解説に持ち越したいと思います。


つづく…

次回は第六話「ROBOT RONDO」です

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