姉の存在〜生きるために私たちができること〜

もうすぐ母の日だな
とふと思っていると
「今日5月9日だな」と

35年前のこと
私は当時小学生
私の3つ上の姉が亡くなりました

姉は先天性脳性麻痺で
この世に生を受け
医者からは
3ヶ月の命かもしれない

そういわれていたけど
10歳になるまで
命をまっとうしました

姉は完全に寝たきりで
完全介護が必要でした

当時は障害者への認識や理解は
今ほど深いものではなく
障害を持つ子供を外へ連れ出すことを
ためらい、外出をさせない親御さんもいたと聞きます

母は違った
母はいつも堂々と
姉と私と弟をつれて
公園へいったり、
お買い物へいったりしていました
外出の時は姉がいつもいっしょでした
私もお姉ちゃんが大好きでした

幼い私でも残っている記憶
クラスメートが私の姉の姿を見た時に
違う生き物を見るような目で見たことがありました

幼いながらに
人を見た目や第一印象で判断する
人間にはなりたくない
そう思ったのを覚えています

ご近所さんには嫌味をいう人たちもいました
「障害者手当で生活が潤っていいわねー」
そんなことを言う人もいたんですよ、本当に

障害を持っている子どものお世話が
どんなに大変なことかも知らず
当時は訪問介護のサービスも
行き届いていませんでした

母が毎日24時間
全て
姉の世話から
私たちのお世話をしてくれていました

そして
周りがなんと言おうと、誰が何と思おうと
母はとにかく堂々としていました
3人の子供がいることを誇りに思っていました

姉が障害者だと知った時
母は、姉と一緒に無理心中をしようとしたそうです
でもそれをためらい、この子と生きていくと決意
だから母は
「お姉ちゃんが生きると言うことを教えてくれた」
といっていました

初めて「死」というものを知ったのは
姉からでした
当時は「死ぬ」ということが
どういうことかもわからず
でも永遠に暗い世界にいってしまうようで
怖くてしょうがなかったのを覚えています

毎晩
姉にもう会えない悲しみと
死というものに対しての恐怖で
布団の中で泣いていました

でも姉の死をきっかけに
子どもながらに
「なにがなんでも生き抜く」
そう思えたのも事実

どんなに辛いことがあっても
命ある限りまっとうしよう
それを教えてくれた姉でした

どんなことを周りが言おうとも
自分で決めた選択は自分のもの
誰のものでもない
責任を負うのは自分だけ

自分の目で確かめて感じて
決断して
歩んできた人生

そうやって今まで歩んでこれたのは
姉と母の存在があったからです

二人の娘の母になって
守るべきものができて思います

いつか子供達が大きくなったときに
「お母さんの生き方ってかっこいいよね」
って思ってもらえる
そんな母親でありたい

どんなことがあっても
苦労をものともせず
守ってあげられる
堂々とした母でありたい

いつも輝いていて
人生楽しく歩んで
好きな人たちに囲まれて
やりたいことなんでもやっている
キラキラしている母でいたい

母が亡くなったのが49歳
だんだん母の年齢に近づいていく度に
人生をもっと良質なものにしていきたい
そんな欲がどんどん湧き上がってきます
だったら遠慮なく叶えていくしかないですよね!

母が亡くなったのは49歳
私もアラフォーになって、思います

もっともっと自分の人生豊かにしていきたい
私のライフミッションをまっとうしたい

そして、母が最期に残したように
「人生、悔いはない」
私の人生もそうでありたい

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