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#9 笹原恒/笹原知余子 SASA食堂 (仙台市)

profile
笹原 恒 1980年生まれ 山形県出身
笹原 知余子 1980年生まれ 東京都出身

(恒さん)高校卒業後、武蔵野調理師専門学校に進学。卒業後都内のイタリアンにて15年勤務し、その後2016年に仙台市内の店舗にて勤務。2017年に退職し現在に至る。
(知余子さん)恒さんと同じく武蔵野調理師専門学校卒業後、パティシエとして都内のホテルで勤務、その後フランス菓子のお菓子専門店に転職、結婚を機にイタリアンのレストランでホールを担当する。その後仙台へ移り住み、市内有名菓子店にてアルバイト勤務、現在に至る。

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インタビューをする時、どこでインタビューするか、ということが意外と大事なのだ。
今回のゲスト、笹原さんご夫婦のインタビューでは以前から店主の田村さんとご縁があるSENDAI KOFFEE CO.にて。ここは静かで良い。空間も広々しているから隣に気兼ねなく話が聞ける。
少し曇ってはいたものの、歩くと汗がにじむ天気の中、風通しのいい席で暮らし人*以来の再会を果たす。

*今年の4月末まで、駅前にて実験的にオープンさせたひと×ひとの店舗

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白鳥:その後どうですか?お店探しは順調ですか?

笹原:白鳥さんにご紹介していただいた不動産屋さんと色々お話しているところです。焦って探しているわけではないので、ご縁があればという感じでしょうか。

笹原さんご夫婦は「SASA食堂」というイタリアン食堂を、暮らし人にて1週間の期間限定でオープンさせた。彼らがお店を開くきっかけになったのは、私の知り合いが「ちょうど仕事を辞めて暇してるシェフがいる、場所探してるしいい勉強になるだろうから声かけてみるよ。」と言って話を笹原さんにふってくれたことが始まりだった。私自身、彼らとそこまで深く話をしたわけではないので、今回のインタビューでどんな話が聞けるか楽しみにしていた。

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1、イタリア料理
-始めたきっかけは”流行っていた”から!?

笹原:飲食業界で働き始めた当初、「イタリア料理」が流行ってたんです、それで始めたんですけど(笑)実際にイタリアにも2回ほど行ってみて。最初はツアーで、その次は自分たちでプランニングしました。

白鳥:思い出の場所とか、ここが一番良かったところはありましたか?

笹原:”セルジオ”というレストランが印象的でしたね。メニューが無いんですよ。「メニュー欲しい」って言っても「無い」って言われて(笑)私たち言葉が通じないから、見兼ねて店員さんが厨房に連れて行ってくれて、「これとこれと、これがある」って教えてくれたんです。地元の人の馴染みの店だから、メニューがなくてもみんな分かってるみたい。観光客とかあまり来ないんでしょうね。

白鳥
:何を食べたんですか?

笹原:ラザニアと、パスタかな?とにかく量が多くて、2品食べるのが精一杯だったんです(笑)

白鳥:イタリアはどこのお店も量が多いんですか?

笹原:現地はどこも量が多いですね。働いていた東京のお店にイタリア人が来たことがありますが、「美味しいけど、私たちイタリア人には量が少ない」と言われたことがありました。

白鳥:本場を知るいい機会でしたね。

笹原:そうですね、いい意味で雑というか。それがいいなって思いました。東京で働いていたときは仕事はとにかく細かくて。本場のイタリアンレストランは、もっと大衆的。もちろん星付きの店は違うのかもしれないけど。

白鳥:日本でいう”食堂”っていう感覚なんでしょうね。

笹原:そうですね、サービスは悪いです(笑)日本だったらクレームがくるような(笑)でも食べたら美味しい。その雑さが心地よかったです。かと言ってあの空気感をそのまま日本に持ってくるのは無理だろうなと。現地の人が求めているものと、日本人が求めているものが違うんだと思います。僕が目指すものはあくまでイタリアンなんですが、それしかやってこなかったですし、それしか出来ない。「イタリアン」と一言に言ってもいろんな切り口がある。食材のアプローチの仕方も色々ある。例えば東京だと、トスカーナ地方のイタリア料理だったりシチリア地方のイタリアだったりと、もっとマニアックなイタリア料理のお店を開いている人は結構いる。でも仙台ではそこまで特化したお店はまだないから、その辺を攻めていければいいかなと。

白鳥:東京は選択肢が沢山ありますからね。

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2、故郷
-父の姿が自分のルーツ、いつかは故郷との繋がりも持ちたい

笹原:実家が山形の銀山温泉で旅館をやっています。小さい頃から父親が料理している姿がかっこいいと思っていて、調理器具もカッコよく見えて。料理をするきっかけはそこからですね。

白鳥:やっぱり男の子はお父さんの姿に憧れるんでしょうか・・・。

笹原:僕はそうですね(笑)

白鳥:お父様は旅館の調理場を担当されているんですね?

笹原:はい、今も現役です。小さい旅館なので、家族で経営も接客も全部やるんです。

白鳥:旅館の料理だとイタリアンじゃないですよね?

笹原:そうですね、そこは当時イタリアンが流行っていたからです(笑)

白鳥:(笑)

笹原:田舎から出て東京の学校に行った事で、それに業界のことを何も知らなかったので、初めて目にするもの聞くものに圧倒されて気持ちがとても高められました。その中で当時イタリアンがテレビや雑誌などメディアにたくさん取り上げられていて。入ってくる情報がほとんどイタリア料理。それでイタリアンへ進みました。流行っていたから(笑)

白鳥:故郷というパーツですが、知余子さんにとってはどうでしょう?

笹原(知余子):東京生まれですが、引っ越しが多かったので故郷がない感じです。東京の記憶もそんなにないですし。生まれた場所に思い入れがない分、山形や仙台に故郷と呼べる人たちが羨ましいです。結婚したことで私も疑似体験させてもらっています。

白鳥:知余子さんは何がきっかけでパティシエになられたんですか?

笹原(知余子):小さい頃、どうやったら好きなだけケーキを食べられるのかというのを考えていて、その思いのまま来ました(笑)兄が先に武蔵野調理師専門学校に入ったので、その影響を受けて私も同じ学校を目指しました。学校に入ってから実習をする中で、やっぱりお菓子が好きだったのでパティシエに。最初はフランス菓子のパティシエでしたが、今は旦那さんの影響でイタリア菓子を作ってます。

白鳥:イタリア菓子ってイメージないですね。

笹原(知余子):イタリア菓子のお店はすごく少ないんですよ。イタリア菓子のお店で働いていたことはとても勉強になったし、私にとってはとても面白いです。

白鳥:実家が旅館だと後継とかは?

笹原:僕は次男坊なので、逆に戻ってくるなと言われてました(笑)戻りたい、家族の近くでお店をやりたいと思ってたんですが、場所も場所なので。やめた方がいいと言われました。それなら仙台で、ということでこっちに来たんです。今は仙台に落ち着いてるので、ここからお店を始めてそれが将来的に山形と繋がりながら出来たらいいなと思っています。

白鳥:山形も面白くなってきていますしね。

笹原:色々動いてますよね。寒河江でイタリア野菜も作ってますし、都内にも卸していて結構名前も知られてますからね。ワインもしかりですけど。

白鳥:山形とイタリアが繋がり始めてますね。

笹原:山形だけではなく、仙台の生産者さんたちともう少し繋がれたらと思ってますね。

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3、自然
-自然がなければ自分の仕事もない

笹原:自然は、料理と切り離せないと思っています。食材一つとっても。

白鳥:お二人は狩猟の免許を持ってるとお聞きしましたが?

笹原:そうなんです、これは東京で働いていたお店の影響で、割と何でも手作りするお店だったんです。お店のシェフが突然狩猟免許を取ると言い出して、こういう食材のアプローチの仕方もあるのかと。そこが自分のベースにとても影響していると思います。当時すでに地方に戻ることを考えていたので、地方なら自分で食材を調達するという分野はもっと面白い、もっと色んな形で追究できる気がしました。猟にしても、山菜や野菜もそうですが、全て自然があってこそのもので、自分たちが今後開くお店でも必ずお世話になるのは自然なので、このワードを選びました。

白鳥:今年の冬は狩猟に出たんですよね?

笹原:知余子さんはまだ許可が下りたばかりで銃の扱いが不十分だったのもあり、一緒に行きましたが、基本的に僕が撃ってました。

白鳥:森に入ったらまず自分で獣の痕跡を探すんですよね?

笹原:そうですね、犬を使って探すという手もありますが、今年はどんなものか様子見の意味でも、何度も通って自分の足で探して猟をしましたね。

白鳥:実際に猟をしてみて、自分の手で食材を調達するという部分で何か手応えはありましたか?

笹原:そう簡単ではないなと。動物を育てるにしても、野菜を育てるにしても、実際に育てている、調達してくる人たちは大変なんだということがよく分かりました。全ての繋がりを切り離して考えたくないですね。調達するところから、調理するまでの過程は全て繋がっていたい、そういう思いがより生まれました。

白鳥:ストーリーがあると、食べる方も面白いな、興味深いなと思いました。一つ一つに想いがあるというのはいいですよね。マニアックではありますが(笑)

笹原:突き詰めて行ったら、そこまで行ってしまいました(笑)

白鳥:知余子さんは、その辺どう感じてらっしゃいます?

笹原(知余子):狩猟をやるって聞いたときはそこまで抵抗なかったんですが、まさか自分もやるとは思ってませんでした(笑)でもまぁ、免許を取れば一緒に行けるしいいかなぁという軽い気持ちでしたね。
実は私、ジビエ食べられなかったんですよ。

白鳥:え!?

笹原(知余子):苦手な方だったんですけど、自分で狩猟して獲ったものとか、違う猟師さんが獲ったものは本当に美味しくて、今までのイメージを覆されました。獲ってからの処理の仕方や、どれぐらい日数が経っているかなど、全てが影響することがよく分かりました。
猟期中でも、この時期は脂が乗ってて美味しいとか、メスとオスで味が違うとか、関わった人によって全く味が変わるというのは興味深いです。

白鳥:もともとパティシエの知余子さんにとっては、だいぶかけ離れた世界ですね(笑)

笹原(知余子):そうですね〜かなり離れてますね(笑)お菓子の世界だと、ハーブや果物など自然から採れるものを使いますが、野生のものはもっと香りが強かったりと発見は沢山ありますね。

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4、東京
-厳しいけれど、得られるものが多い場所

笹原:新しいものに沢山出会えて、自分自身を高めてくれた場所ですね、なくてはならない場所だったと思います。ものすごく厳しかったですし、大変でしたけど。

白鳥:鍛えてもらった場所なんですね。

笹原:厳しくて泣いてました(笑)東京にいる時は、技術も知識も意識も、全てに関して修行でした。なのでここに根を下ろすイメージは全く出来ませんでした(笑)人も沢山いるし、カラスも、ゴミも、匂いも臭いし、こんな所で料理するなんてやっぱり違うと思って。
最先端のものを作るという意味では、東京は世界的に見ても一番だと思いますが。

白鳥:一番のところにいるというのは色々影響受けますよね。

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5、好奇心
-好奇心があるからやれる事

笹原:好奇心がないと前には進めない。

白鳥:好奇心ない人はジビエ獲りに行かないですしね(笑)

笹原:実はワインに苦手意識があって。イタリア料理やフランス料理って、ワインが必ず付きまというというか・・・でも好奇心を持って取り組めば乗り越えていけると思います。
分からないならまずやってみる、作ってみる。そこから学ぶことは多いです。

白鳥:昔からですか?

笹原:そうですね、昔からだったと思います。東京で働いていたレストランは、好奇心を後押ししてくれるようなお店だったので、やれるのであれば好奇心全開で色々挑戦してみようと思った時期がありました。

白鳥:それでやり始めたら止まらなくなっちゃったっていうことでしょうか(笑)

笹原:(笑)

笹原(知余子):その時半年ぐらい休みがなくて。

笹原:人も足りなくて、半年休みがなかったんです。

笹原(知余子):でも色々挑戦させてもらってたから、楽しそうでしたよ。

笹原:ハマってしまったんですね、自分の今までの料理の経験値と、お店が求めるものがマッチする時期だったんですね。

白鳥:今までの経験や、持ち前の好奇心を生かしたお店が今後出来るといいですよね、きっと面白いお店になりそう。

笹原:イタリア料理であることには変わりないですが、使う食材は色々なものを使ってもいいと思いますし、色々な可能性を感じられるお店にしたいですね。様々な食材が育って調理されてお客様に届けられるまでの過程を、体感できるように出来たらと思います。血なまぐさい感じは嫌ですけど(笑)

白鳥:(笑)ぜひ実現させてください!それまで狩猟の腕を上げていただいて(笑)

笹原:そうですね(笑)

白鳥:今日はありがとうございました!

笹原:ありがとうございました!!

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笹原さんご夫婦には独特の間があると思う。その間は扱う食材や、接客する相手を温かく包む間だ。独自の観点で新しいことに挑む姿勢はある種マニアックなほど。そんな彼らが出す空気感にハマり、ファンになる人はきっと多いはず。理想とする形にたどり着き、様々な人を迎え料理を提供する日が待ち遠しい。

インタビュアー 白鳥 ゆい

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