3月12日になったから、3月11日を思う。
相変わらず眠れぬまま夜が更け、そして明けていく。
あぁ今日は3月11日だ。そう意識した途端、昨日は何も書けなくなった。noteを毎日継続して書いてみようという気持ちは、跡形もなく消えた。
一夜明け3月12日になったから、3月11日をそっと振り返ってみた。
12年前、わたしは被災地からは遥か遠くにいた。今も遠くにいる。
あの日は仕事が休みで、午前中耳鼻科へ行き、職場の人が美味しいと教えてくれた坦々うどんを食べになか卯へ行った。それからスーパー、本屋、雑貨屋を眺めて家に帰り、テレビをぼんやり楽しんでいた。
突然「臨時ニュースです」と、神妙な顔のアナウンサーが地震があったことを告げ始めた。その前に速報テロップも出たかもしれないけれど、「臨時ニュースです」のインパクトに前後の記憶は行方不明になった。
最初は起きたことが全く飲み込めなかった。現地の様子ですと映像を繰り返し見せられても、何も思わなかった。一時間ほどして頭がようやく理解した途端、言い表せない恐怖に襲われた。
気づいたら近所で働く友人の職場へ「大丈夫?」と訪ね、親や普段連絡しない人にまで「地震があったね、大丈夫?」と携帯メールを打ちまくっていた。
その後の記憶は全くない。夕ご飯は食べたのか、何時に寝たのか、何を思ったのか。何も思い出せない。
日が経つにつれ、大切な方が被災されたり、連絡を取れないという話を耳にしだした。聞くことしか出来ない、何も出来ない。うまく息が吐けなくなった。
また別の日、同じ職場の人から、レジ前の募金箱に10,000円を入れた人がいて……と聞いた。「こんなにも良いんですか?」と思わず聞いたら、「自分はあの日、津波に飲み込まれかけた。けれど生き残ってしまった。今は安全なこの場所にいるからせめて」と言ってお金を入れていった、どことなく青ざめている気がした。
そう聞いたら今度は息がうまく吸えなくなった。想像でしかない、わたしの想像なんてきっとひどくちっぽけだ。それでも助かったという安堵が砕け散りそうなくらい、「生き残ってしまった」という言葉は重くて、自分の周りの酸素が消えた。
水の販売個数制限があちこちで起きた。
ペットボトル飲料のキャップが全て同じ色になった。あるコンビニでふと見た飲むヨーグルトの蓋が、ある週はいちご味なのに水色で、ある週はプレーン味なのにピンク色だったことも妙に記憶に残っている。そうか、あたり前にあったものがなくなったんだと思い知った。
それから節電のために、お店の看板の電気が次々に落とされた。そこで初めて、夜はこんなにも暗いんだと気がついて、わたしはなんてぬくぬくと安全に暮らしていたのかと思い知る。
慣れない仮設住宅暮らしだったり、家族を探す日々を送る方が迎える夜の暗さを思うと、この街の暗さなんて、まだまだ明るいのだろうなと思った。
いろいろな場面で、これが現実なんだと思い知らされていく毎日だったのに、自分ができたのは、おつりを少し募金箱へ入れることだけだった。
被災地へボランティアに駆けつけたり、物資を送ったり、自分にできることを考え、率先して行動出来る勇気と体力、あるいは経済力のある人を見るとまぶしかった。自分が情けなくなって視線をそらしてしまった。
少し生活を見直せば、何か送ることくらいなら出来たかもしれない。せめて救援物資を送る作業のボランティアなら出来るかも……頭ではあれこれ考えたものの、結局勇気が出なかった。
近くで出来るボランティア募集にも応募出来ないまま、応募して出来ることをする友人を尊敬しながら、集合場所を通り過ぎて仕事に行った。いつも通り働いていつも通り家に帰る日々を送った。
せめて報道からは目を背けないようにしよう。そう思って、連日ニュースを見続けたけれど、早々と自分の中の現実を見据えるコップの水が満杯になって溢れ出た。わたしのコップ、どうやら相当小さかったらしい。
テレビが怖くなっていった。
被災地のニュースに落ち込み、楽しいニュースでさえも落ち込む。次はバラエティを見てもあまり笑えなくなり、笑えたら笑えたで罪悪感を感じるようになった。ドラマやアニメ、フィクションですら何か悲しいことが起きると落ち込んで、作品を楽しむ方法が分からなくなっていった。
いつからか想像でしかないし、現実では安全な場所にいるのに、ひとりぼっちになるようになった。この世界でひとりぼっちだったり、どこか分からない場所でひとりぼっちだったり。
その時によって状況は違うけれど、どのひとりぼっちも悲しい、虚しい、苦しい。色々言葉を並べてみても足りない。どうしようもない深い穴を落ちていく気持ちになった。今も相変わらずなる。
一年後、あるいはもう少し経った頃にはテレビを見ることを完全にやめた。今もわたしのテレビは押入れの中にある。今は実家に帰った時に、親がつけたテレビを見るだけ。だからリモコンの使い方もよく分からない。
せめて起きたことを教訓に、備えて、蓄えて、自分の身を守って、元気に暮らそう。それしか出来ることがない。
それなのに、備蓄用に用意した食べ物ほど、なぜかすぐに食べてしまう。知っている味なのに、何かあった時のために買ったのに。毎日ローリングじゃ意味がない、それなのに食べてしまうから、備蓄は今は諦めている。
防災用品も、ほんの少し用意したところで手が止まってしまったままだ。用意しながらも、深い穴の中でひとりぼっちになってしまい、現実逃避をしたままだ。
このままではいけない。どうにかしたい。
昨日、我が家の近くではイベントをやっていた。震災を忘れないためのイベントというわけではないようだけれど、14時半頃から15時頃にかけて、どこか哀しげな歌が風に乗ってかすかに聞こえ、合間で静かなサイレンのような音がした。ステージの人と観客の人で黙祷をしたのかもしれない。
何も出来ず、何も教訓を生かせず、自身の安全も守れないまま生きていてごめんなさい。誰に謝っているのかもよく分からないけれど、このままじゃいけない。分かっているのになぜ改善しないのか。
誰かの分まで生きる事はできないけれど、自分の生をもっと大切にしなきゃいけない。黙祷さえも出来ないまま、ざわつく心に言い聞かせていた。
3月11日だけじゃない。天災も事故も事件も予告なんてなくて、ある日突然だ。その時に後悔しても遅い。備えてもどうにもならないかもしれない。それでも何かが起きた時、自分を守れるように。できれば周りの人も守れるようにしないと。
あれもこれも恐れ悲しむ前に、何が起きても心配ない!にしていかなくちゃ。結局変わってなくて……としょんぼり言う自分からは変わらないと。
変わります!と断言出来なくて情けないけれど、変わっていきたい。そう思った3月12日。
相変わらず眠れません。そしてなんともう朝なのです。眠うございます。
そんな8ページ目でした。