書く習慣 1ヶ月チャレンジ 19
Day19 自分があまり賛成できない常識
何が常識で何が非常識か、自分の価値感に正直なところ自信がありません。だから、少しお題からズレてしまうかもしれないけれど、わたしがなんだかモヤッとしたり、疑問に思っていることを聞いてもらえませんか?
●年々、何でもかんでも「させていただきました」、「させていただく」とおっしゃる方が増えている気がするのは気のせい??
丁寧なことはいい事だけど、「え?それもさせていただくの?」と、首を傾げてしまうことが割とよくある……と言いつつも、右にならえで自分もつい使うことがあるし、どうしたものでしょう?どうなんでしょう?
●著名人の結婚を報じるニュースの締めに「なお〇〇は妊娠はしていない」とか、「挙式の予定はない」っていつからわざわざ書くようになったんだろう?と、近年ものすごーく不思議に思っている。
結婚しただけじゃいかんのかい?妊娠の有無や挙式の有無まで発表する義務はなかろう、そない言及せんでもよろしかろうにと思いませんか?
『Aさんと Bさんが結婚した』ニュースはそれだけでいいのにと個人的には思っています。いっそ知らないうちに結婚してました、もう今年で10年ですとかでもいい気がしちゃいます。
●いのちの電話とか、相談窓口の電話番号を載せたら何書いてもいいと思っているメディアや記者の人多すぎない?これはちょっと勝手に怒っています。
著名人の方が亡くなられ、ご自身の意思で旅立たれた可能性があると、報道の際に相談窓口の電話番号が案内されるようになった。
そのことにわたしが気づいたのは、俳優の竹内結子さんが亡くなられた時でした。
コロナウイルス感染拡大、芸能界で活躍されていた方の予期せぬ突然の旅立ちが続いていた中で、最初はとても配慮のある行為、報道側の優しさだと好意的に受け止めていました。
この報道で、心が不安定になってしまう人がいないように、少しでもそんな人の心を和らげられるように、そんな配慮からの相談窓口の案内なんだろうなと。
けれど最後に相談窓口の案内さえすれば、何を書いてもいいと思っているのでは?本人が何も言えない状態で、そんな事書くなんて……と、悲しくなる報道も見かけるようになっていって、今は相談窓口の案内がなかった頃の方がまだマシな気がします。
誰も自殺を選ばない世の中になれば……とは思います。けれど、自殺に見えたって悪い偶然が重なった不慮の事故かもしれないし、自殺以外の道を見出せなくなるのは、病気や怪我で辛いのと同じ状態だと思うんです。
自殺はダメ!自殺してはダメ!確かにそうだけど、そうじゃない…あぁうまく言えません。
自殺って、事故でもあり、病死でもある気がします。そして亡くなった人のことをあれこれ憶測で報じることは、亡くなった人や周りの人をさらに傷つけて、他殺になるんじゃないかと思います。
本人が、これは自殺ですと言及しなかったのなら、綺麗事に聞こえてしまうかもしれないけれど、今までの功績を讃えて、出逢いに感謝して、出来るだけ静かに見送る、時々思い出すじゃダメですか?
亡くなったと言う事実以外には触れずにいることは難しいのかなぁ?と思いながら、なんだかずっとモヤモヤし続けています。