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220709_叫ぶことを諦めるのは臆病か?
言いたい言葉はたくさん頭の中で渦巻いていたのに、結局は溢れていってしまった。
大きな出来事に心がざわついて、荒れて、荒れて。
書き殴って吐き捨てたい衝動と、閉じこもって泣き続けたい情動と、どこか冷ややかに処理しようとしている頭の中の私。
そんなものに挟まれ、揉まれ、摩擦でヒリヒリしている心が「タスケテ」と叫びたがるのも当然で。
手を伸ばしたい先は脳裏に浮かぶけれど、見えないふりをして「そんな相手は居ないのだ」とまた縛りつける。
ひとえに、私が臆病なばかりに。
助けを求めたことで、失望されないだろうか?
嫌われたり、黒い言葉で突き放されたりするかもしれない。
そういった怖さはもちろんあるし、依存して相手を潰すことになるのも嫌だ。
それなら一言、『シンドイ』とこぼすのはどうだろう?
「助ける」というのもなかなか能動的な献身で、心身に余裕がないときにできることじゃあない。
でも、「共感・共有」で分かち合えば、互いに心が軽くなる。
ケースバイケースばかりで「絶対」なんてない一般論ではあるけれど、ここがいい塩梅、よき妥協点だと割り切ったほうがきっと生きやすい。
いいんだよ、まずは自分の心を労って。
そのあとで、できる範囲の優しさを外に向ければそれでいい。
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