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シベリア抑留の悲劇
シベリア抑留、、。極限状態の中生き抜いて来られた日本兵の体験談です。
絵を描かれているので大変分かりやすく胸に迫るものがあります。
余りにも過酷なので目をそむけたくもなりますが、
日本人としてちゃんと知っておくべきだと思います。
−40℃超のシベリアで黒パンをかじりながら、祖国へ戻る希望をひたすら抱き続けた【抑留体験】
「シベリア抑留」という歴史上の悲劇をご存じだろうか。
終戦直後、当時の満州国などの外地に残っていた日本兵ら約60万人が、ソ連によって武装解除・投降を余儀なくされ、捕虜としてシベリアをはじめとするソ連各地に移送された出来事である。そこでは想像を絶する寒さや容赦のない重労働、劣悪な生活環境などにより、約10人に1人にあたる約6万人が命を落としたといわれている。
今回で第6回目を数える「極限メシ」で話をうかがったのは、極寒のシベリアで2年4カ月もの間抑留された後、生還した中島裕さん(92歳)。中島さんと戦友たちの命運を分けたものはなんだったのか。極限状態の中、いったい何を食べて生き延びたのだろうか。
壮絶なエピソードに加え、ご本人が抑留体験を回想しながら描きためたという絵もぜひご覧いただきたい。
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シベリアで日本兵が捕虜にされ、どれだけ極限状態の中で生き抜いて来られたのかが分かります。
そして、何よりそこに凛とした日本人としての生き様を見る時
感動で涙が止まりません。
【シベリア抑留】自らを犠牲にし我々を救ってくれた小隊長の感動実話。
終戦後、多くの日本兵が過酷な道を行かざるを得ない状況でした。
そして日本兵だけではなく、1000人もの女性もシベリアに抑留されたという話もあります。
どれだけ過酷な道だったのでしょうか。歴史の中に埋もれ隠された悲劇がどれほどあったのでしょうか。
そういう時代に命をかけて生きてくださった方々のお陰で
今の日本があります。
あらためてそのことを噛み締めて生きて行きたいと思います。
歴史の真実を見つめると
今の時代の生き方がわかります。
『助け合い主義』をおすすめします。
美しい国、日本を守りましょう!
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