故小野田寛郎氏に心を寄せて
今日は、小野田寛郎氏のスピーチに耳を傾けてみたいと思いました。
小野田寛郎(おのだ ひろお)さん 1922(大正11)年生まれ。元陸軍少尉。日米開戦後の44年12月、フィリピン・ルバング島に派遣され、以来30年間、任務解除の命令を受けられないまま戦闘を続行。74年3月、作戦任務解除令を受け、51歳で日本に帰還した。翌年ブラジルに渡り、牧場を経営。その後、野外活動を通して子供たちに自立の大切さを説く「小野田自然塾」を設立し、講演活動などを続けた。
小野田さんのメッセージ
開戦の詔書については、こちらでも詳しく解説しています。
まさか!世界が衝撃を受けた‥その内容「開戦の詔書」で天皇陛下が伝えた真実とは‥? ※開戦の詔書を何処よりも分かりやすく解説します!
【小野田寛郎氏が語った日本が大戦を始めた真実】激怒!何故「開戦の詔書」を読まないのか!靖国神社参拝しない総理へ向けた衝撃のスピーチ!
なぜ小野田さんは、戦後やっと日本に帰還されたのにブラジルに行かれたのか。
小野田さんは、このように語られていました。
「日本に帰還したときに、当時の田中内閣から百万円の「見舞金」をもらいました。全国からたくさんの見舞金もいただいた。私はこれを、靖国神社に奉納した。
国のために戦って死んだ戦友たちにせめて礼をつくそうと思ったからです。
しかし、このことは大きな批判を浴びました。記事にも書かれたし、投書も来た。「軍国主義に荷担する行為」と言い、「戦死者を慰める一番いい方法は二度と戦争をおこさないことで、寄付をするならそういうことのために使うべきだ」と言うんです。「自分で稼いだ金を寄付しろ」とも。」
多くの戦友が死んだのに私は生き残った。
気休めにしかならないと言われても、せめて靖国に眠る戦友たちに詫びなければ、これから先、生きていけないと思ったそうです。
そして、この日本がかつての日本では無く、戦勝国アメリカにより自虐史観に染められた国であることを深く悟られます。
「小野田は軍国主義の亡霊だ」「小野田は軍人精神の権化だ」マスコミの論調はみんなそれでした。私はせっかく戻ってきた祖国がますますイヤになっていったと語られています。
それで祖国を離れ、ブラジルにいかれたのだとわかりました。
多くの日本軍人が、国のために我々が戦わなければ誰が戦えるのかと、そういう自分たちの誇りを持って力一杯笑って死んでいったのに、
その英霊が祀られている靖国神社に参拝した小泉首相の言葉は、「心ならずも」という言葉でした。
「心ならずも」という言葉には、いやいや無理やり戦争で死に追いやられた可哀そうなみなさんという意味が含まれています。
そうではないのだ!と強く訴えられている小野田さんのメッセージは、
今を生きる私たちが深く知っておかなければならないことだと思いました。
また、メッセージの中には、何故「開戦の詔書」を拝聴する機会が無いのか?と語られています。
歴史の授業でも一切習わないし、マスコミもそのような情報を流しません。したがって、今を生きる日本人は、あの戦争がどういう意図をもって開戦となったのかについて何も知らされていないのです。
だから、マスコミの勝手な「日本は侵略戦争をした」というすりこみにまんまと騙されて来たのです。
今を生きる私たちは、その歴史の真実を知ることにより
この国を愛し、守ろうとする本物の真の日本人の心になれると信じます。