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劇場版BanG Dream! It's MyGO!!!!! 春の陽だまり、迷い猫を見ました

ラスボス豊川祥子の無邪気に青春してた頃を見て涙が止まらなかった

楽奈のおばあちゃんが言ってた「"人生短いから"燻ってる暇はない」って台詞、「"人生長いから"前に進んだ方が良くない?」って言う愛音と言ってる事は同じなんですよね。バンドリのロックはこれなんだろうなって思った。どこに辿り着くかわからないけど、とにかく前に進む。それがバンドリのロックなんだと思う

楽奈が突如として殴り込んでくるの、楽奈なりに前に進んでいたからって理由付けがされたのがかなり良かった
楽奈に必要なのは居場所であり、ライブハウスやギターはその通過点である。と提示して、彼女なりに筋の通った言動だと描いたのは良い意味で印象的だった。理屈がないと迷子たり得ないから

本音と建前を完全に分けられるそよと、ギターが上手すぎる楽奈が揃ってしまい、この二つどちらでも勝てなくなった愛音がどうするのかというと、メンバーをまとめて前進させる。なのは、器用貧乏でやってきた愛音らしい立ち回りだし、"偶然"にもそれがこのバンドにもっとも必要な要素っていうのは、行き当たりばったりなこのバンドらしくていいなって思う

CRYCHIC時代は、祥子が全部担当してたと思うんだよな
作曲、バンドを引っ張っていくのも
MyGOは祥子が担ってたものを分担して、なんとかやっていってるんだろうなと感じた
CRYCHIC時代で明かされてる揉め事は、祥子の脱退だけなんですよね
おどおどしっぱなしの燈と当たりの強い立希を同じスタジオに置いておけるのも、祥子のマネジメントがあったからだと思う
あのメンバーが初めて経験したバンドという温もり、それを象徴したのが春日影なんですね
あの頃(CRYCHIC)を取り戻すには、燈の歌、その歌詞を昇華させる作曲センス、対立構造を解いていく調停者、そしてメンバーを前進させる起爆剤が必要なんですよ。つまり祥子ですね
しかし、その祥子はいないので仕方なく有り合わせでなんとかなってるバンド、それが迷子のバンドなんですよ
その迷子のバンドが歌う春日影は、ただの暖かい歌でしかない。
CRYCHICは終わった。それを下したという、良くも悪くもMyGOは前に進んでいる。
そう描写したシーンで前編終了でした。まあここしかないよな、区切るとしたら

今作のサブタイ、「春の陽だまり、迷い猫」はMyGOという居場所、陽だまりを見つけた要楽奈、まだ居着いていないから迷い猫。
前編のまだお互いがバラバラで、いつ壊れてもおかしくない不安定な前編でのやり取りを端的に表してる一文だなって思った。

エンディングテーマの過惰幻、ダークでイノセントなコードが採用されていて、歌詞や歌い方も物憂げなものになっている。全然MyGOっほくない歌でビックリした
劇場版総集編っていうのは、本編を見た身としては振り返りの作品でもあるんですよね
この歌は、燈たちが自分たちの過去を振り返って作った歌なのかな〜って思った
早く歌詞読みてえですわね


バンドの楽しさを追い求め続けるのがMyGOなら、それ以外の全てで勝負するのがAve Mujicaなんですね。TV版の話をします。

MyGOを聴きにきた祥子、彼女自身もCRYCHIC解散は本意ではなかったのが暗に分かりますね
始まりの歌である春日影を聴いた時に、祥子自身は拒絶されたと捉えたと思うんですよね
春日影は初めての感動を書いた歌で、その歌を自分のいないバンドで歌っているから
楽しかった思い出を踏みにじられた祥子は、その思い出を否定するしかない
"春日影"はもうMyGOのものだから
劇場版バンドリマスター オブリビオニス爆誕。

13話で、祥子が初華に一緒に帰ろうと言われて拒否したシーン、あれはその等身大の楽しさの否定だと思うんですよね
もう一度やり直すのがMyGOなら、文字通り生まれ変わるのがAve Mujicaなんですよね

なぜAve Mujicaが人形なのか、心がないからなんですね
燈の歌が心の叫びであるのに対し、初華の歌は別に心の叫びではない。人の望みを書いている、第三者視点の歌なんですね。だから心があるように見えて全然ない。
人形は着飾ってこそ価値のあるものであり、その着飾りがAve Mujicaの本質なんですよね

はよ劇場でAve Mujica聴きてえ〜〜