マナーを守らない人がいるから私は人間として認識された皮肉
参拝に行くと、毎日のように同じ時間に会う人がいる。
その人は、神社の前の溝に痰なのか唾なのかを吐き、手水舎でガラガラうがいをして、参道の真ん中を堂々を歩き参拝する。
神さまがどのように見ていらっしゃるのか分からないけれど、わたしは、あまりいい気持がしない。
もし、わたしを訪ねてきた人が、家の前で唾を吐き、「手をお洗いください」と記載してある水道でガラガラうがいをして入ってきたとしたら、嫌な気分になると思う。
マスクをしなくても白い目で見られることは少なくなったが、だからと言って、道端に痰や唾、ましてや食べたものを戻して、そのまま放っておいていいということではないはずだ。
足元を見ないで歩いている人や、視力の悪い人たちが、その上を踏んで歩いてしまうことがある。
歩くだけなら良いが、滑ってしまうことがあるから危険だ。
それに、もし何かのウイルスに感染していたのだとしたら、踏んで歩くことによって、それをばら撒くことに繋がる。
自分の家の前で誰かが何かを捨てて行ったらどう思うのだろう?
いつからかは覚えていないが、参拝の帰りに捨ててあるタバコの吸い殻を拾うようにした。
吸い殻を集めて綺麗にするぞ!ではなく、帰宅の道で眼についた吸い殻を拾うだけだ。
だから、寄り道してまで拾うことはしないので、いつも同じ道の吸い殻を拾うだけだ。
なのに、約30分で「こんなに?」と思うほどの吸い殻が毎日集まる。
吸い殻を拾って帰るようになって1週間くらい経った頃、通り道の早朝まで開店しているお店の人が挨拶してくれるようになった。
それから更に1週間くらい経った頃、ご近所にお住まいなのか、犬の散歩の人たちが「ありがとうございます」と声をかけてくれるようになった。
「ご近所の人ですか?」と聞かれるが、近所ではない。
だから、一種の不審者なので、きまり悪く感じる。
そして、今日は交番のおまわりさんが「おはようございます。ありがとう」と声をかけてくれた。
挨拶されるたびに、わたしは風景の一部分から、動く人間として認識されたんだと感じる。
わたしが人間として認識されるよりも、公共の場を綺麗に保つように、自分で出した不要な物は自分の家に持ち帰ってもらいたいと願う。
自分が使っていたモノ、自分の一部。
捨てるなら捨てるで、最後まで感謝の心を持って扱いたい。