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試練を理解して受け入れると、成長の機会になる

日々、いろいろなことが起こりますね。

でも、それらの出来事はただ起こっただけ。
であれば、そのことはなぜ起こったのか?そこから学べることは何なのか?
と起こったことを理解して受け入れることができれば、嫌なことや試練だと思えることがあったとしても、それは自分に対する攻撃ではなく、むしろ、自分自身に磨きをかけて高める機会。

そんな機会を与えられたということです。

出来事を受け入れると言えば、わたしの残念なエピソードがあります。

わたしは犬がちょっと苦手です。

なぜかというと、子供の頃に噛まれたことがとても印象に残っているからなんです。

噛まれたのが痛かったとか、そういうのではなく、その時に一緒に歩いていた友達 2人いたんですが、わたしが 噛まれているのに2人とも一目散に去って行ったんです。

「振り返ったらだめ」と言いながら、早歩きで去って行くランドセルを背負った後姿は、何年経っても忘れられません。

犬に噛まれた上に友人にも裏切られた。
そんな思い出があって、未だに 犬が苦手って感じですね。

近づかなければ 噛まれないし 大丈夫って思っているし、目も合わせないのに、なんだか 追っかけられたりとか吠えられたりとかありました。

大人になってからも、犬に吠えられたり、追いかけられたり、犬じゃなくても人に突き飛ばされたり叩かれたりがありました。

わたしの意識の中に、「犬=人に裏切られる」という思いがあった気がします。

そして、そのことに意味があるとは思わなくて過ごしました。


でも、これらの出来事は、父親への想いが関係していたのです。

ある時、父親の嫌いな特性について、その感情をニュートラルにしたいと思ってワークしたとき、解消したつもりだった父への嫌悪感が解消されていなかったことに気が付いたのです。

その感情を解消していなかったから、何かと上手くいかない攻撃されると言った、同じようなことが繰り返し起こっていたのです。

そのワークで、父のことを理解して受け入れることができた時、それらの出来事は、今の私を作るためにあったことだったんだと気が付きました。

そして、父への愛と感謝に変わったのです。

すると、もう犬に噛まれたり、吠えられたり、追っかけられたりすることはなくなりました。

もちろん、人に叩かれたり、突き飛ばされたりもないですね。

自分に降りかかったこと。自分が嫌だな って感じたこと。攻撃されてるなって思ったこと、それを理解して受け入れた時、自分の心がふわっと軽くなるし、「わたしにも理解することができたんだ」っていうことで自分を認めることにもつながりました。

起きたことの意味を理解して受け入れるということは、自分を理解して高める機会ですね。

自分に与えられた試練。それを、攻撃と捉えるのか。自分を高める機会と捉えるのか。

捉え方次第で、その後 心穏やかに暮らせるのかどうかが決まるのならば、自分の身に降りかかることを理解して受け入れていきたいですね。

※感情をニュートラルにするワーク、「ディマテーニメソッド®」をお届けしています。


最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。

感謝いたします。