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若さという傲慢、その輝きとはかなさ――ノクチル『天塵』の紹介

トップ画像はノクチル初のイベントコミュであり、今回noteで扱う『天塵』の報酬カード、s-ssr【游魚】樋口円香です。


この記事の構成

今回はノクチルのシナリオイベントである『天塵』についての紹介及び考察を行います。長すぎて一気に読み通せない、という人は章ごとに分けて読んでもらって構いません。

第1章の「ノクチルって何ですか?」ではこのnoteで初めてノクチルを知った人向けにノクチルについて簡単に紹介させてもらいます。もう知ってるよ、という方はこの部分は飛ばしてもらってかまいません。ノクチルについての基礎的な情報と、メンバーの紹介、そしてアイドルを始めたきっかけについての簡単な説明です。かなり内容を絞っており、ファンの人からみたら説明不足に感じる部分もあるかと思いますが、何卒ご了承ください。

第2章「若さという傲慢、その輝きとはかなさ」で『天塵』についての考察を行います。この章のタイトルの言葉はシャニマスのシナリオブックに記載されている『天塵』のシナリオライターのインタビューで出てくる言葉です。今回はこの言葉の意味を探る形で『天塵』の三つの場面について考察していきます。

第3章「ノクチルと目的の関係」では第2章を踏まえてノクチルと目的の関係という視点からノクチルの魅力について紹介、考察します。『天塵』以外のコミュも含めて、ノクチルにおける目的との関わりという着眼点からノクチルの魅力を紹介できたらいいなと思います。上の二章と比べると、私の個人的な見解という側面が強いかもしれません。

引用について、「」内の途中の空白はゲーム上の表記で改行されていることを表しています。引用以外でのキャラクターの台詞は、一部意訳しているものがあります。

1.ノクチルって何ですか?


 まずはほんとに基礎的な情報だけ。ノクチル(noctchill)とはアイドルマスターシャイニーカラーズ、通称シャニマスに登場するアイドルユニットです。ユニットメンバーは同じ高校に通う幼なじみの四人の女子高生

画像はs-ssrの【THE W♡RLD】市川 雛菜というカードのイラスト。このカードは最新のノクチルのシナリオイベントである「ワールプールフールガールズ」の報酬カードになっています

メンバーは上の画像の右から福丸小糸市川雛菜浅倉透樋口円香。小糸と雛菜は高校一年生で、透と円香は高校二年生です。

四人は独特な経緯でアイドルを始めることになります。ある日、浅倉透はバス停でたまたま283プロダクションという芸能事務所のプロデューサー(このゲームの主人公でありプレイヤー)に出会います。

プロデューサーは独特の魅力を持つ浅倉透をアイドルに誘います。透は最初はそういうのに興味はないと断ってしまいます。しかし会話のなかで、透はプロデューサーが実は昔ジャングルジムで出会った大切な人物であることに気づきます。そして浅倉透は最終的にアイドルの誘いを受けることにしました。

そしてそれに続く形で他の三人もアイドルを始めることになります。福丸小糸は他の三人に置いて行かれたくないため。市川雛菜は大好きな透先輩がいるため。樋口円香は、幼なじみを守るため――

以上がノクチルの本当に基礎的な情報です。このあたりの話は主にメインシナリオである『wing』でなされています。今回紹介する『天塵』を読んで個別に気になるメンバーのストーリーを見たくなったという方は、まずはこちらをプレイしてみることを勧めます。もちろん『天塵』の前に読んでもらっても構いません。

もっとも、私の今の説明ははっきり言って不十分です。例えば、それぞれのメンバーがアイドルを始めた理由は他のシナリオも踏まえてもっと詳しく考察する必要があるでしょう。(特に円香については、自分でも書いていて違和感を覚えました。【Merry】や【漠漠】などに描かれているようにを見てると、円香がアイドルになり、アイドルを続けている理由はそう単純なものではなさそうです)

とはいえその考察は別の機会にとっておきます。それだけでnoteが終わってしまいますので。今回はあくまでもこのnoteで初めてノクチルを知った人のための紹介として書きました。先ほども書きましたが、ファンの人からみたら不十分に感じられる部分も多いかと思います。また、初心者の方でもこの説明をみてもよくわからなかった、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。この後の『天塵』でのストーリーの紹介、あるいは今後の記事でも、省略する仮定で誤解を招くような説明になってしまうところがあるかもしれません。いずれにせよ、上手く説明できてないとしたら、それは私の実力不足によるものです。申し訳ありません。

ただ、ノクチルの四人について、あるいはシャニマスの他のユニットも同様に、自分でゲームをプレイすることを通してアイドルを知ることに大きな意味があると思います。それは理解してもらいたいのです。個々のプレイヤー(プロデューサー)がプロデュースを通して彼女達と交流すること。そこには単に二次創作や人の考察を読むだけでは得られない価値があると思います。もちろんそれらが劣ったものであると言いたいわけではないです。

もしこのnoteを読んでノクチルに興味を持った人は、それで満足せずぜひ自分でプロデュースしてみてください。さらに言えば、私は少しでも多くの人にノクチルを知ってほしいと思ってます。どれだけ周りの人の評価を聞いても興味が沸かない人。何個かストーリーを見たけれど、あまり面白いと思えなかった人。そういう人達にも、もっともっとノクチルを知ってもらいたいのです。ノクチルにはそれだけの価値があります。


話がそれましたが、ノクチルについて簡単な概要はこれくらいにしておきます。

2.若さという傲慢、その輝きとはかなさ

ノクチルについて最低限の知識をおさえたところで、『天塵』についての考察に入っていきます。『天塵』はノクチル初のイベントコミュです。アイドルになったばかりのノクチルがアイドルとして(でも彼女たちなりのやり方で)進んでいく、その始まりを描いた物語です。

章のタイトルの言葉は、シナリオブックのインタビューから引用したものです。この言葉はノクチルが好きな人でも聞き覚えのないものかもしれません。これはシナリオの印象深いシーンは何か、という質問に対するライターさんの答えに出てくるフレーズです。

Q2.本シナリオ内で印象深いシーンはありますか?
 目立つところでは、生放送中の「やらかし」と、海辺の営業先での「不首尾」のシーンでしょうか。彼女たちには彼女たちの価値観と行動指針がはっきりとあるため、「失敗」の類は、必ずしも(まったくと言っていいほど)彼女たちを不幸にしない、ということが映り込んだシーンではないかと思います。世間的な成功や失敗といった価値基準がまるで意味を持たないという、いわば若さという傲慢、その輝きとはかなさを少しでも生のままに記録できていれば幸いです。

原作・監修 株式会社バンダイナムコエンターテインメント(2022)『アイドルマスターシャイニーカラーズ シナリオブック』一迅社

さすが作者さん。『天塵』およびノクチルの魅力についてとても簡潔かつ明瞭に説明されています。もう僕のnoteはいらないかもしれません。

話を戻して、僕がこれを読んで特に印象に残ったのが引用の最後の行の言葉でした。「若さという傲慢、その輝きとはかなさ」とは不思議な言葉です。通常「傲慢」という言葉はあまり良い意味では使いません。そして「その輝きとはかなさ」と続いてます。「傲慢」と「輝き」はともかく、「傲慢」と「はかなさ」はあまり相性がいいようには思えません。

しかし、この多面性こそノクチルの魅力であると私は考えました。ここからはこの言葉の意味について僕なりに説明していきます。そのためにインタビューでも触れられている生放送のシーン海辺の営業先でのシーン、加えてその間にある、海での仕事を引き受けるかどうかについて四人で話し合うシーンから考察します。

適宜ストーリーに触れるため、ネタバレ注意です。


2-1 透はふざけてたわけではない?――生放送のシーン

生放送のシーンは第3話『アンプラグド』に描かれています。まずはストーリーを見ていきます。これはノクチル全体のストーリーのなかでも非常に重要なシーンであり、後の考察に向けてもしっかり抑えておきたいところです。かなり割愛してますが、それでも比較的長めの紹介になってます。ご了承ください。

アイドルを始めた四人に回ってきた初仕事。それがこの音楽番組の生放送です。この日のために歌やダンスを練習してきたノクチル。しかし現場で四人を待ち構えていたのは決して華やかとはいえない、夢のない大人の世界でした。

楽屋の前で写真を撮ろうとしたら怒られる。謝ったところ無視され、今度はその人が廊下で他の人と話し始める。挨拶回りにいっても軽くあしらわれる。それだけでなく、生放送は口パクでやってもらうと直前のリハーサルで急に告げられます。プロデューサーや円香や小糸がなんとか歌わせてくれないか番組ディレクターと確認、交渉しますが聞き入れてもらえません。そしてトークも歌も浅倉透を中心にまわすと言われてしまいます(透は人を引くオーラがあるため、学校でも芸能界でも注目されることが多いのです)。

雑に扱われた挙げ句出番はない、と暗に言われて複雑な心境の三人。特に普段からなにかと他の三人に引け目を感じており、そしてこの日のために一生懸命練習してきた小糸は酷く落ちこんでしまいます。自分がうまくできないせいでこんなことになってしまったのだと落ち込む小糸。元々番組の構成は決まっていたのだから、小糸のせいではないと円香がフォローします。しかし「せっかく頑張ってきたのに」と小糸の気持ちが晴れることはありませんでした。

そして透だけのトークが始まります。台本は無視され、透がメンバー紹介しようとしたところ、友情を疑うような馬鹿にした発言をされたあげく、結局紹介させてもらえませんでした。そして「友達の絆、みせてもらいましょー!」とCMに入り、曲に向けた準備に入ります。

CM明けの生放送にむけて準備する四人。決してよい心境ではない三人に合流した透は、意外にも不満そうな感じはありませんでした。そしてこう言い放ちます。

透「行こ」
透「見たいんだって、友達の絆」

天塵 第三話『アンプラグド』

円香と雛菜は透の言葉にあっさり応じますが、小糸は何のことかピンときていないようです。そんな小糸に「小糸ちゃん、思いっきりやって、ちゃんと映るから」「頼んだ」としか言ってくれない透。ますますなんのことかわかりません。

そしていよいよ始まる生放送。ここで雛菜の回想に入ります。

雛菜「なんかね すごいことが起きそうって思ったの」
雛菜「小糸ちゃんも、そう思ってた?」
(中略)
雛菜「カメラが、透先輩によって―――」
雛菜「それで……あは~~~♡」
雛菜「透先輩、まさかの―――」
雛菜「歌ってない~~~!」

天塵 第三話『アンプラグド』


問題のシーン

透はなんと一切歌わず、頼まれていた歌うフリすらしませんでした。そして何を思ったのか一切関係ない童謡を歌い始めます。番組関係者は慌てます。そして透にしか向かない予定だったカメラが他のメンバーに回ります。しかし雛菜はこの状況を楽しんでるだけだし、円香は一切笑顔をみせません。そして全てのカメラが小糸の方へ!驚く小糸ですが、練習のように一生懸命頑張ってみせます。

雛菜「だって、いつもどおりの雛菜たちでしょ?」
雛菜「―――雛菜、透先輩好きだな~……」

天塵 第三話 『アンプラグド』

雛菜の回想が流れ、そして一生懸命歌って踊る小糸が映ったあと第三話は幕を閉じます……

他に類を見ない解放感あふれるラストですが、これが『天塵』のなかでも、またノクチルが紡いでいく物語のなかでも、ほんの最初の出来事にすぎないということには驚嘆させられるばかりです。

さて、ノクチルのまさかの行動に、番組関係者は大慌てしてしまいました。当然こんな行動が世間的に認められるわけもなく、SNS上で叩かれたり、後の仕事がなかなか取れなくなったりしてしまいます。アイドルをなめるなとか、売り物としての安全性がないとか。散々な言われようです。

しかし、透がやったことは、本当に無茶苦茶なことなのでしょうか?言い換えるなら、透、及びノクチルの四人はただふざけただけなのでしょうか?

透がこのようなことをした理由は、実は割と簡単に推測できます。透は歌の直前に「見たいんだって、友達の絆」と発言しています。透があのような行動をとったのはずばり、友達の絆を見せるため。小糸に対して透が「ちゃんと映るから」と発言しているあたり、小糸をカメラに映すことがその表現方法であった、と考えることができます。

今まで頑張ってきた小糸をカメラに映すこと。またそれを四人の間で全く口裏を合わせずに成功させたことも、友情だと言えるかもしれません。CM中の会話の時、雛菜と円香は透の発言にあっさり了解していました。しかし、雛菜の回想を見る限り、少なくとも雛菜は透の行動を全く予想していなかったようです。また、円香がどこまで予想していたのかは分かりませんが、少なくとも透に何をするつもりか聞いたわけではないでしょう。それでも最終的にカメラは全て小糸に向きました。そして小糸は緊張に負けず一生懸命頑張って見せました。

ただし、透と雛菜と円香が友達の絆を見せるため、あるいは小糸を見せるため、という全く同じ目的のもとで行動したとは限りません。小糸も友達の絆を見せるために頑張った、と言えるかは怪しいところです。他のストーリーを見ると、四人の目指すものは決していつも重なっているわけではなく、むしろバラバラであることが多いです。今回の出来事にしても一つの目的のために一致団結した、という見方ではそれぞれのメンバーの心情を捉えきれないかな、と私は考えます。しかし、今回の出来事に四人をつなぐ一本の糸が見える気がするのは、それぞれの目的をもつ彼女たちが絆でつながっているからだと言えるのかもしれません。

そして重要なことは、これが友達の絆をみせるために行ったとするなれば、それは番組の流れにしっかり乗っ取ったものであるといえるということです。透の「見たいんだって、友達の絆」という発言は、直前のトークでの「友達の絆、見せてもらいましょー」という発言を受けています。つまり友達の絆を見せるということは、番組のなかで彼女達に求められていたことなのです。ノクチルは台本捕らわれない形でそれに応えたといえます。こうして見ると、ノクチルはこの番組に対して誠実に、積極的に関わっているとも言えそうな気がします。今回ノクチルの行動は責められてしまったわけですが、しかし疑問を抱えながらもリハーサルのように口パクでやることが、今回のノクチルの行動より褒められることなのでしょうか。

透、そしてノクチルの行動は一見ふざけているように見えるかもしれません。しかし「友達の絆を見せる」という目的のためにやった、という視点から見れば決して理解できない出来事ではないということ。そしてそのことは実は番組に誠実に向き合っている側面もあるということは見過ごしてはならないでしょう。そしてなぜそれがパッと見たときに意外性をもって現れるのか。それはノクチルが抱く目的や行動が、世間の常識に縛られない形で存在しているからです

常識的な観点から見れば突拍子のない彼女達の行動。しかし実際は四人がそれぞれの目的を自由に抱き、行動した結果にすぎないのです。四人がそれぞれの目的に自由に向かい合っている、という点は次に紹介する「中身のない会話」にもあらわれています。

2-2 中身のない会話と海

続いて、第六話『海』から、海のライブの仕事について四人で話し合うシーンを紹介します。そしてそのまま続けて第七話『ハング・ザ・ノクチル!』の海の仕事をやる場面の紹介に入ります。海のシーンはノクチル屈指の名シーンではあるのですが、今回は他のシーンより少なめの説明にとどめておきます。というのも、今回注目しているノクチルの魅力について考える、という視点から見れば、改めて解説することがほとんどないためです。

というわけでまず、海の仕事に行く直前のシーンである第六話『海』を見ていきます。先ほど紹介した生放送の事件によってなかなか仕事が来なかったノクチルですが、ついにプロデューサーが仕事を持ってきました。それはある花火大会の小さなステージ

祭りやステージに来るのは地域の人がほとんどで、当然業界は全く注目していません。設備もいいものとはいえない。客が来るのかも分からないし、仮に客がステージを見ることがあっても、そこにいるのが誰かなんてどうでもいいわけです。私たちが普段祭りに行くときの特設ステージも、そんな扱いですよね。

円香が皮肉を込めて言っているように、あまりいい仕事とは思えません。プロデューサーもそれは理解しています。しかし、それを踏まえたうえでプロデューサーはノクチルに次のように語ります。

プロデューサー「もし価値がないと感じるなら、俺は出演を勧めないよ もっと頑張って……」
プロデューサー「みんなの気持ちに沿った仕事をとってくる 必ず」
(中略)
プロデューサー「だから、よく考えてほしいんだ 出たいのか、出たくないのか」
プロデューサー「仕事をすれば、嫌なめにだって遭う 自分たちが思う以上に、姿勢を求められたりもする」
プロデューサー「それでもやるなら、お金とかやりがいとか、夢……はわからないけど――」
プロデューサー「歌いたいとか、目立ちたいとか、貢献したいとか、なんでもいいから、きっと理由が必要になってくる」
プロデューサー「やっぱり辞めたい、って思うのでもいい」
(中略)
選択肢【そういうこと含めて考えてほしいんだ】

天塵 第六話 『海』 (選択肢、というのプレイヤーが吹き出しをタップする形式になっている。今回はこの一つの選択肢しか表示されていないため、実質的にはプレイヤーに選択の可能性は開かれていない)

確かに今回の仕事は良い仕事とはいえないかもしれない。ただ、これをきっっかけにアイドルとしてやっていく理由を何か考えてほしい。そんな切実な思いが伝わります。

こうして四人で話し合いが始まります。話し合いとはいっても、仕事の会議のように堅苦しいものではないものではありません。話し合いが始まって早々雛菜が「行きたい~」と言いますが、客観的にみればいつもの会話と変わらないような軽い調子のように思えます。一方円香はこんな小さな仕事に意味はあるのかと懐疑的ですが、雛菜が三人で行こうとしても積極的に止めようとはせず、一人で考えるといっているあたりあまりみんなと話し合う気はなさそうです。

そんななか、小糸は声を振り絞って自分の心中を告白します。みんなでステージに出てみたいみんなと一緒にいたい、と。

これに対して円香は反論します。別にステージに出なくても一緒にいられる、と。これはアイドルを続けなくても、と言い換えてもいいかもしれません。

小糸は言葉につまってしまいます。確かに論理的に考えれば円香が言っていることはもっともなことのように思えます。しかし小糸にはやはり自分だけ置いて行かれているような気がしてならないようです。みんなだけ、透だけどんどん先に行ってしまう。そんな気持ちを言葉にしようとしていた矢先に、雛菜が割り込んできます

小糸「みんなだけ……どんどん……」
小糸「と、透ちゃんだけ……どんどん…………」
透&円香「……」
雛菜「うん~!そうだよね~」
雛菜「だから雛菜もどんどん行くよ~?」
小糸「―――」
小糸「――そ、そう……! そうだよね……!」
小糸「わ、わたしもだから…… 追いかけたくて……!」
小糸「みんなのこと……!」
小糸「みんなと一緒に、練習したり……衣装を着て踊ったりするの……」
小糸「全然、よゆーになるから……!」

天塵 第六話 『海』

小糸が深刻そうに話していたのに、雛菜は陽気に割り込んできます。そして仕事を受けるかどうかの話だったのが、いつの間にか小糸の決意表明になって終わっています。ですがこれはめちゃくちゃに話がずれたわけではありません小糸が一生懸命自分の思いに向き合って、口にしようとする。それを聞いた円香や雛菜も率直に応答して、小糸が再びそれに応えた結果だといえます

さて、小糸に名前を出されたにもかかわずいっこうに透は発言しません。円香にどうしたいのかと尋ねられ、ようやく口を開きますが、「わかんないや」となんともはっきりしない返答をします。しかし、「でもさ、行こうよ」と透は言います。仕事の資料を持ち出して、「海だって、これ」「めっちゃ楽しそう」と。透は海が気になるようです。(ちなみに『天塵』及びノクチルのストーリーにおいては海の話が度々出てきます。そもそもノクチルという名前が夜光虫(ノクチルカ)から来ているそうです)

透の発言を受けて、小糸と雛菜は期待を膨らませます。円香も結局行くことにしました。

円香「はあ……」
円香「行く」
小糸「い、行く理由は……?」
円香「いいんじゃない?無くても」
雛菜「へ~?」
透「あははっ いいじゃん」
透「行きたいから、行きたい」
雛菜「そっか~ じゃあ行こ~!」

天塵 第六話 『海』

この仕事に意味はあるのか、と考えていたはずの円香が、ここでは理由がなくてもいいんじゃない、と言いだす始末。プロデューサーがあんなに真剣に言ったことは、四人に全く響かなかったのでしょうか。

この話し合いには、何か重大なことを議論をするときにあるような、常に参加者を律する目的や理念による規範的なものが薄い気がします。目的がないというわけではありません。話していることは確かにこの仕事を受けるかどうかについてのことです。しかし、仕事やその目的に関わるような真剣な話し合いだからといってピリピリしている様子はありません。決まったことに従わなければならない、という圧力もありません各々が自由に発言して、自由な思いを抱いています。途中小糸が切実な思いを話す場面もありましたが、それは周りに合わせたというよりは小糸の意志によるもの、と言った方がいいでしょう。また、それによって空気が深刻になる、ということにもなっていません。

円香はこの話し合いを指して「中身のない会話」と言っています。確かに「海が楽しそう」とか「行きたいから、行きたい」などの態度や発言をみれば、ふざけているようにしか思えないかもしれません。この仕事、あるいはアイドルをやるうえでの共通目標を立てた、というわけでもありません。

しかしこの会話は「中身のある会話」よりもずっと素晴らしいのではないか、と私は思います。各々がそれぞれの思いを抱いて自由に話す。決して全ての思いを言葉にできるわけではないけれど、自分の思いと、相手の思いに耳を傾けている。そして、結論による意志の統制が行われることもないため、仕事にはそれぞれの意志で赴くことができている。もしこれが真剣な会議だったとしたら、どうしても周りを気にして率直な発言はできない。「海に行きたい」なんて言うことができず、そんな思いは「売れるために必要」とか「仕事に精一杯向き合う」などに押しつぶされて、自分の意志はやがて分からなくなってしまうでしょう。「中身のない会話」は、それぞれの率直な思いに向き合い、それぞれの意志で目標に向かっているから起こったといえるのではないでしょうか。

ここまで二つのシーンを見てきました。生放送のシーンでは世間の常識に捕らわれない形で四人がやりたいことをやっているという点。そして「中身のない会話」は四人が率直に自分の思いに向き合うことで、それぞれの思いから目をそらすことなく、純粋に目標に向かうことを可能にしている、という点を見出しました。ここまでの流れを抑えれば、ラストの海での出来事はあっさり理解できると思います。「若さという傲慢、その輝きとはかなさ」も同様です。

『天塵』のラストは、先ほど話し合った海の花火大会のステージを描いています。ステージはやはり簡素で、音響もよくない。ステージ本番の際には花火があがり、ノクチルを見る人は誰もいませんでした。声は花火の音でかき消されてしまっています。誰もステージの彼女たちを見ていません。それでも彼女達は歌って、踊りました。誰も見ていなくても、みんなこの時を精一杯楽しんで良いステージにしていました。だって彼女たちは彼女たちの目的のためにステージに立っているのだから、客がいようがいまいが一生懸命ステージを作るし、楽むことができるのです

そしてまともに見てくれる観客はいないまま、ステージは終わります。しかし唯一しっかり見ていたプロデューサー、そしてノクチルみんなが認める良いステージでした。そして興奮冷めやらぬまま、透は海に駆け出します!当然ですね。海に来たのですから。もちろん円香、雛菜、小糸も続きます。そして海に飛び込む四人!(もちろんライブ衣装のままです)「花火じゃなくて、こっちみろー」と言っても、やはり誰も見ません。それがおかしかったのか、四人はますます笑ってしまいます。

誰もいないのにライブを楽しめたこと。最後いきなり海に飛び込んだこと。それだけ見れば意味不明なことのように思えるかもしれません。でも、彼女たちからみればごく自然なことなのです。最初の生放送の出来事も、「中身のない会話」も、彼女たちの自然な在り方によるものです。

世間的な常識に縛られない、しかし社会に反発することが目的なわけではない。自分たちで自由に目的をもって、自由に楽しめること。これが若さという傲慢なのだと思います。そして、ノクチルには常識を越えているはずなのに自然に心に入り込んでくる輝き、大人になったら無くなってしまうようなはかなさがある。これが「若さという傲慢、その輝きとはかなさ」なのだと思います。

いかがだったでしょうか、これで今回やりたかった僕の『天塵』の紹介は一応終わったことになります。しかし、今回の紹介を見てもどうしてもノクチルが好きになれない、という人もいるのではないでしょうか。初仕事の生放送のシーンはいくらなんでもふざけすぎではないか。番組関係者はかわいそうだし、理不尽なことから逃げていては売れることも成長することもできないのではないか?話し合いのシーンも酷い。このnoteの著者はここでの自由な空気感が良いと言っている。しかし、例えば最初の円香のように積極的に話し合いから離れることや、一向に発言しなかった透の態度などを許容していたら、話し合いというものは成り立たないのではないか?そして、海辺の最後のシーンで確かに四人は四人だけの価値を見つけられたのかも知れない。しかしこれは観客の存在意義を低く見積もることにつながるのではないか?

このようにノクチルの在り方はおかしい、と思う人はちょくちょく見かけます。しかし、そんな人にこそもっとノクチルを知ってほしいのです。理由は二つあります。一つは、ありきたりなつまんない答えですが、異なる価値観との出会いは人生を豊かにするから。そしてもう一つ、ノクチルの在り方というのは、決して決まっているわけではないから今回僕が書いたことは、ノクチルのほんの一つの側面にすぎない、ということは覚えておいてほしいのです。二つ目に書いたことは、次の章でも触れることになるでしょう。

3.ノクチルと目的の関係

 さて、第二章では『天塵』の各場面から「若さという傲慢、その輝きとはかなさ」という言葉について考えていきました。そしてノクチルの魅力が何にも縛られないように、自分たちで自由に目的を作り率直な思いで物事に取り組むことにある、ということが具体的なノクチルのストーリーを通して分かっていただけたでしょうか。ここではさらに詳しく、ノクチルと目的の関係について、考察、紹介していきたいと思います。

話は少しノクチルから離れます。最近発売された本に、國分功一郎『目的への抵抗――シリーズ哲学講話』というものがあります。ものすごくざっくり説明すると、この本ではコロナ禍に代表されるような今日の社会において、目的のために自由を軽視する、目的のためにあらゆる手段が正当化されてしまっていることが問題としてあげられています。そして目的のために手段を正当化してしまう価値観を超えるような自由の在り方について論じられています。つまり人と目的、自由の関係を哲学的な問題として扱っているのです。(Cf.國分功一郎(2023)『目的への抵抗――シリーズ哲学講話』新潮社)

なぜ急にこんな話をしたのか。ノクチルのストーリーには新型コロナウイルスが存在している様子はありません。(しかしノクチルが発表、実装された年は2020年の春。つまり日本においてコロナ禍が始まったばかりのころです。そして音楽ライブが重要な意義をもつアイマスにとって、ライブに甚大な制限をかけられたコロナ禍は全く無関係とはいい切れません。そして私がノクチルに触れたのは、コロナ禍で暇になったので、たまたま気になっていた浅倉透についてもっと知ってみようと思ったことがきっかけでした。私自身にとってもノクチルとコロナ禍は決して切り離せる関係ではありません。)ノクチルの話を使って現代社会の問題について詳しく切り込みたいわけでもないです。

私が言いたいのはもっと抽象的で広くて、個別的なレベルの問題、言い換えるなら生きるということの問題についてなのです。私たちは生きるうえで目的を作り、それに従う。しかし目的について考えるとき、私たちは何か大切なことを忘れているのではないか?ノクチルの輝きを見るたび、私はいつも何か大切なことを置き去りにしている気がして、こういう問いを発せざるを得なくなります。先ほど本を取り上げたのは、この問題がどれくらい重要であるのか、どれくらい広げられるかを具体的に理解してもらえると思ったからです。もちろん私自身が最近読んだから、というのもあるのですが……。今回はあまり深く掘り下げませんが、気になる方はぜひ読んでみてください。

さて、ノクチルの話に戻ります。たとえば今回紹介した『天塵』の生放送のシーン。私は最初見たときは番組側に怒りを覚えつつも、この仕事を今からでも断るか、あるいは我慢しなければならないとすべきか、くらいにしか考えられていませんでした。こんな「べき論」で考えていては、彼女達がやったような事は発想することすらできなかったでしょう。最後の海のシーンもそうです。観客の量を意識しすぎてしまっていては、ステージを楽しむことは出来ない。あのステージの輝きを作り出すことはできないでしょう。

ノクチルは自分たちの自然なあり方から、やりたい事をやっています。そういう生き方は、堅苦しく考えていては実践できません

しかし、ここで注意しておきたいことがあります。私はこうしたノクチルの在り方を理想の人間像として提示するつもりは全くないです。それは社会や哲学の問題と結びつけるにはもっと細かい分析が必要だから、ということ以上の問題です。ノクチル――浅倉透、樋口円香、福丸小糸、市川雛菜は、あるべき人間の姿として存在しているのではなく、ごく普通にそこに生きている、ということから目をそらしてはいけない。理想として崇めてはならないとは言いませんが、そうしていては変化していく彼女達を捉えきるのは難しいと言わざるを得ません

前の章で、今回紹介したのはノクチルの一つの側面にすぎないと言いました。今までの記述と矛盾したことを言いますが彼女たちは自由に目的を持ち目の前のことを楽しめている、あるいはいつも気楽な人生を過ごせているというわけではありません。例えば『天塵』においては円香のモノローグが何度も出てきます。そこには先の見えない未来に悩む痛々しい姿が描かれており、アイドルとしてのこれからについて不安を抱えていることが分かります。また、透のLPでは、透が自分のやりたいこと、なりたいもののために自分の思いが封じられ、大切なものが失われようとも我慢しなければならないと息苦しい思いをしている姿が描かれています。もちろんこのような葛藤や苦しみは個々程度の差はあれど雛菜や小糸などにも見られます。そしてそれに対する答えが明確に、あるいは最良のものとして提示されているわけではありません。むしろ常に彼女たち、そして私たちに問われているのです。言うまでもないことですがそんな事とは全く関係ないところにも彼女たちの物語は広がっています。見る側だけでなく彼女たちにすらも取るに足らないような日常すらも、決して見逃してはいけません。

自分たちのささいな思いや自分たちのやりたいことと向き合い続けるということは、決して楽なことではないのです。時にそれはジレンマになり、窮屈な思いをしてしまうこともあります。また、世間の常識にとらわれずに自由に生きているということは、裏を返せば常識に身を任すことができないような世界で生きるということです。ノクチルはそういう世界にいます。そしてそのような世界は、個々によってその様相は異なれども、ノクチルに限らず全ての人が経験する、あるいは経験したものではないでしょうか。ノクチルのように「若い」人だけが経験するもので、それを乗り越えたら大人になれる、と言い切ることはできないと私は考えます。たとえそういう経験は乗り越えた、もう済んだ、という人でも、ノクチルと関わっていくうちに、彼女達と同じような立ち位置につくことになるかもしれません。そこには無数の可能性が開かれていて、すべてが自由。未知のものであふれているその世界は、それゆえとても怖いけれど、魅力にあふれています。

ノクチルは目的を超越するような世界観で生きている部分がある。単純な常識的世界観を超えた自由な世界。それゆえにノクチルのストーリーは驚くべき解放感とともに目をそらしたくなるような独特の過酷さがあると私は考えます

おわりに

いかがだったでしょうか。最後の章は少し話が脱線しすぎたかもしれません。僕自身まだまだnoteになれていないし、ノクチルについても知らないことばかりなので、これから成長していけたらなと思います。最後にもし今回のnote、あるいはノクチルの姿を見て何か心にささる、あるいは引っかかるものがあった人はどんどんそれを追求してみてほしいです。そしてもしノクチルがみなさんの在り方や考え方、人生のどこかと共鳴したのなら、ノクチルとの交流のなかでそれらと向き合ってみてください。それはいつかノクチルのような、けれどあなただけの輝きを持つかもしれません。

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