無題
鮫殺し。そいつはこの世界に確かにいる。鮫殺しはどんな鮫だって殺す存在として知られている。恐ろしい恐ろしいジョーズも、ふざけにふざけたB級映画に登場するサメも、鮫殺しは殺している。ホホジロサメ、コバンザメ、ハンマーヘッドシャーク、ジンベエザメといった、三次元に実在する鮫も。ポケモンのサメハダーのような、サメに由来するフィクションのキャラクターも、鮫殺しは殺すことができる。
当然、サメ君も殺すことができる。鮫殺しに殺せないサメはいない。
しかし鮫殺しが鮫を殺すと、具体的に何が起こるのか。実を言うと、いっさい、何も起こらないのである。正確には、鮫を含む我々にとっては何も関係がないことしか鮫殺しは起こしてはいない。鮫は鮫殺しに殺されると死ぬ。しかし鮫が死ぬのは鮫殺しがいる世界のなかだけである。ここが問題で、鮫殺しの世界には鮫殺ししか存在しないのである。
だから鮫殺しが鮫を殺しても、鮫にとっては関係がないことである。
皮肉だな、とサメ君は思った。サメ君と鮫殺しはほとんど同じだ。
サメ君は例外なくあらゆる生物を捕食することができる。人も、神も、鯨もシャチも捕食できる。しかし、あらゆる生物はサメ君の世界にしか存在せず、他の世界の生物を捕食することはない。鮫殺しと同じである。鮫殺しもサメ君も、「恐ろしい」というイメージの中にしか存在していない。やつらは最も残虐なものとして想像されながら、どんな生物よりも、何かを害したことはないのである。
そしてどんな救いの手も、彼らには届かない。彼らは我々とは違う存在だ。
補足
鮫殺しはなぜ鮫を殺すのか。これについては様々な考察がなされている。鮫に大切なものを食われたから、鮫に食われた生物たちの恨みから生まれたから、そのような復讐の心からではなく、鮫の「捕食者」という性質を殺したがっているから。
あるいは、実体からはなれて、「捕食者」という恐ろしい性質を植え付けられた事態そのものに動機があるという説もある。
もっとも、動機などどいうものが心の中にあるから殺す、という考え方自体、鮫殺しに当てはまるのかどうかは不明である。