なにゆえ、見たままが出来ないのだ?

Billiyがこの世にいてくれているうちに、Billiyのスカルリングを作って、本人に送る(彼が受け取ってくれて「贈る」になればもう、言うことはない)というのを目指して、また造形を始めてみたんだけど。

恥を承知で語ると、造形はいろいろと手を出して止め、また手を出してはやむを得ず手を止め、などということを繰り返していたりして、本当に「また」という表現がぴったりで我ながら情けないというか笑うというか笑

手を動かして作るという行為が好きで、やっていて心が落ち着くというのは子供のころから変わらないのだけれど、わがままと言うかせっかちと言うか、自分の思ったペースで物事が進まないとイライラしてくる性分で、作ったり壊したりやめたりを繰り返すこと多数。ドリルというか反復練習というか「繰り返し繰り返し取り組まなければ身に着かないし上達もしない」ということもわかっていたのだけれども、徹底できずにこの歳に至ってしまった。

いや、本当は骨身に浸み込んだところでわかっていなかったのかもしれない。そして、今、それにやっと心から気づいて、取り組もうと動き始めたところ。

なんやかんや遠回りだったけど、やらずに死ねるかという感じです。

しかし、改めて感じるけど、なにゆえ見たまんまに作れないんだろうね笑

「SKULL RING」って要は、頭蓋骨じゃん?この世に生まれ死んでいった全人類が確実に一つ以上持っていた部位じゃん?しかもここ数千年はそうそう形も変わっていないであろうモノで、なおかつ、お手本となるモデルも医学的や考古学的、人類学的や生物学的な「標本」的なものから、スカルをイメージした絵柄やデザイン、幾多のシルバーアクセサリーブランドが出したスカルリングの実物から画像、動画までありとあらゆるデータは出揃っているようなシロモノじゃん?

それなのに、そういった「お手本」を前にじっくりと観察し手を動かしても、忠実に再現出来ないのはどうしてなのだ?

不思議ではあるけれど、それを考えても頭蓋骨を上手く作ることの上達にはつながらない。

とにかく今は、ようやく心底気付けたことを守って、繰り返し繰り返し、あーだこうだ、ここが違うなどと言いながら、手に身体に目に脳に頭蓋骨というものを擦り込ませていくしかないのだと思っています。

ここをいい感じで習得して乗り越えて自分のものにしていかないと、Billiyのスカルを作るなどという大それたことには手が出せそうにないので。

やはりある程度は礼儀みたいなところを重んじてから作りたいと思うわけですよ。人の頭骨ですもの。

そこに到達するまでのスカルは、単なる練習ではなく、それはそれで作品として「昇華」させたい。


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