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『イシナガキクエを探しています』真・年表

以下の年表は『イシナガキクエを探しています』本編の内容に、『イシナガキクエに纏わる35の謎』での考察を加味した上での時系列である。

《》内は関連用語集(次章参照)の語句


【補足資料】
『イシナガキクエを探しています』年表
『イシナガキクエを探しています』語集


1940年      
米原実次、代々林業を営む米原家の次男として生まれる。

1944年頃?   
稲垣乙、代々霊媒を生業とする稲垣家に生まれる。

1947年08月10日
稲垣クシエ、稲垣家に生まれる。  
        
1950~60年代  
米原実次と稲垣クシエ、交際を始める。

1969年秋頃   
稲垣クシエ、霊媒の実践中に死亡(享年22歳。秘密裏に荼毘に付され、遺骨は稲垣乙が管理)。
エクトプラズムを媒体に稲垣クシエの姿に酷似した怪異が発生。後にアナグラムから《イシナガキクエ》と命名。

1969年以降   
怪異・イシナガキクエの性質が判明。米原実次と稲垣乙、協力関係に。
《代理人》を用いた計35回の《処置》と《処理》によって、イシナガキクエを封印するための《処理チーム》が結成される。
キクエ【1】処理。8mmフィルムによる処置の撮影を開始。

当時の警察の情報網を使ってイシナガキクエの目撃情報を収集するため、稲垣クシエの失踪届を提出。

米原実次、別の女性と結婚。その後、一男一女を儲ける。

稲垣乙、結婚。義一を出産。         

キクエ【2】~【14】、この間に処理。

1975年     
キクエ【15】~【17】を処理。

(この間、キクエ【18】を処理)

1979年
キクエ【19】を処理。

(この間、キクエ【20】~【25】を処理)

1982年     
キクエ【26】処理。記録媒体が8mmからVHSに。

(この間、キクエ【27】~【32】を処理)

1985年     
キクエ【33】を処理。

(この間、キクエ【34】~【35】を処理。キクエ封印の結界が完成)

1987年
『THE ワイドSHOW』に米原実次が出演。
結界が機能しているのを確認するのと同時に、万が一復活した際の保険として稲垣乙の住所を連絡先として公開。
実次と乙、互いに連絡を絶つ。        

年代不明(1970年~1990年の間?)
■■■■、遺物の存在を知る。

1990年代前半  
遺物を狙う■■■■の指示を受けた男たちが《池》に侵入、キクエ【17】の処置体を撮影、状態を確認。
その際に何かしらのアクシデントが発生した結果、封印が破壊されたことでキクエが怨霊化して復活。
男たちの内、少なくとも1名が霊障によって異界に引きずり込まれる。        

1990年代    
米原家に不幸が相次ぐ。(実次の家族が事故や病気で次々死亡、会社経営の悪化)→米原家没落。

米原実次が新たなキクエ【36】を確認、数年ぶりに稲垣乙とコンタクトを取る。

米原実次の実娘(故人)を《代理人》に立て、キクエ【36】を処理。    

年代不明(90年代~00年代?)
■■■■による埋葬地への侵入、処置体の盗掘が相次ぐ。

米原実次、現在の《米原邸》に移住。

2000年代?    
稲垣乙、体調が悪化し入院。
米原実次、稲垣乙宛ての書簡の中で《処置》を■■■■に任せるべきか伺いを立てる。

稲垣義一の妻子が次々に死亡、あるいは離別。

2010年前後   
稲垣乙、死去。
乙が管理していた遺物=《稲垣クシエの骨壺》《キクエの写真》、米原実次の管理下へ。
 
同時期、米原邸から約3㎞離れた場所にある民家が空き家になる。
米原実次、クシエの遺物を秘密裏に保管するための物件として購入。
→《山奥の廃墟》誕生。        

2010年以降   
米原実次《たずね人のチラシ》の配布を始める(連絡先が稲垣から米原へ)。
実次単独によるキクエへの対処活動が始まる。

遺物の霊障で《山奥の廃墟》周辺に心霊現象が続発→心霊スポットの噂が立つ。   
     
2023年      
テレビ東京でドキュメンタリー番組『イシナガキクエを探しています』の企画が開始。

2023年10月   
番組スタッフ、米原実次の密着取材を始める。
    
同年12月   
番組スタッフ、米原邸を初取材。キクエの大まかな情報を実次から聞き取る。
近隣住人への聞き込みを行うも情報が集まらず、キクエ妄想説が浮上。          

2024年1月下旬 
米原実次、キクエの存在を疑い始めた番組スタッフに《イシナガキクエの写真》を託す。

2月9日 
心霊Youtuberキラフ、《山奥の廃墟》に潜入。
《キクエの写真【1~35】》《キクエの写真【0A~0E】》を発見。
その際、遠方で燃える炎(=米原実次と稲垣クシエの骨壺)を視認する。

同時刻
米原実次、自宅近隣の田畑で焼身自殺を図り死亡(享年84歳)。
《稲垣クシエの骨壺》、霊障により消失(後に《廃墟裏の小屋》に出現)。

2月10日
朝、米原実次の焼死体が発見される。享年84歳。
同日のニュースで死亡が報じられる。警察は焼身自殺と判断。 

番組スタッフ、米原実次の遺志を継ぐ名目で『イシナガキクエを探しています』をドキュメンタリーから公開捜索番組へと変更。                     

2月??日
■■■■、残りの遺物を奪取するために無人の米原邸へ侵入→発見に至らず。
その様子が近隣住民に隠し撮りされ、後日番組に提供される。

4月中旬? 
上田怜歩那、自宅近所の池で《古びたビデオカメラ》を回収。

4月29日
『イシナガキクエを探しています(1)』生放送。

5月6日
上田怜歩那、番組のリモート取材に応じる。
池で拾った《古びたビデオカメラ》に収められていた記録映像を提供。

5月?日 
心霊Youtuberキラフ、番組に《山奥の廃墟》への潜入映像を提供。

5月10日
『イシナガキクエを探しています(2)』生放送。

同日 
匿名の視聴者から、米原実次が過去に生出演した『THE ワイドSHOW』を録画した《87年のVHS》が送られてくる。その内容からイシナガキクエが既に死亡していることが判明、番組スタッフは捜索を打ち切る。

5月12日 
番組スタッフ、『THE ワイドSHOW』で実次が掲示していた住所(稲垣邸)を訪問し、現在の住人・稲垣義一を取材。
義一から乙に関する証言と《留守電のテープ》を入手。

5月??日
《キクエの写真》が《山奥の廃墟》に隠されていたことを知った■■■■、全ての写真の奪取に成功。
しかし《稲垣クシエの骨壺》の発見には至らず。

5月17日 
『イシナガキクエを探しています(3)』放送。
 
5月??日 
稲垣義一から番組宛てに稲垣乙の遺品=《遺品の8mm/VHS》《乙に宛てた手紙》が届く。
     
5月??日 
番組スタッフ、《山奥の廃墟》を捜索。
キラフが戻したはずの《キクエの写真》が全て無くなっているのを確認。
その後《廃墟裏の小屋》に侵入。焼けた《稲垣クシエの骨壺》と《実次とクシエの写真》を発見。

5月24日
『イシナガキクエを探しています(4)』を配信。
     

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