great3 / Metal Lunch Box
90年代の音楽。当時高校生だった私はこのバンドにヤラレていた。また後に書くが、名盤 1stアルバム Richmond Highを引っ提げて突如現れたバンドの2ndアルバム。Richmond Highを毎日のように聴いていた私は、雑誌で新譜の記事を見つけ、発売日を心待ちにしていた。そして前日フラゲで地元のTSUTAYA的な店に買いに行き、家の音の悪いCDラジカセでぶっ飛ばされ、テープにダビングして趣味の合う友達に押し付けたものだった。
当時はビジュアルバンドの全盛期の始まりだったように思う、X JAPANやLUNA SEAといったバンドが素晴らしいアルバムを出していた。あとはイエモン、B'z、小室ファミリーといった感じだ。そんな中、渋谷系というムーブメントが終わりつつあり定着に繋がっていたような時代。田舎の高校生だった私は渋谷のHMVに憧れを抱きながら、当時のCD発売情報が載った雑誌を目を皿のようにして隈なく読んで妄想を膨らませていた。いうと、試聴機というものも殆どなくてジャケ買い当たり前だった。昼飯のパン代を貯めてCD屋に向かっていたものだった。
さて、great3の話に戻る。まずはバンドの存在感から。前述したように、人気のあるミュージシャンというのはどこかスター性があった。自分とは遠い世界の人種といった感じだ。その中でgreat3は違った。都会の大人のお兄さんといった感じだ。奥田民生やサニーデイサービスやMr.Childrenといった割と普通の人に近いミュージシャンともまた違う。ジャージにアディダスのキャンパスを履いてジャガーを掻き鳴らす。
当時のギターはレスポール全盛期だった。ジャガーとかマニアックだし、なんならフェンダージャパンでも高かったしそもそもそんなお金無いしで国産ブランドのレスポールを持って憧れていたのは良い思い出。
アルバムの写真もオシャレでカッコ良かった。ワザとらしい男臭さというか、どこまで冗談かがわからないところもあったが、それでも憧れた。アーティスト像を知るのは、アルバムのアートワークと雑誌のインタビューとラジオくらいしか無くてあとは妄想ばかり。高校卒業して浪人中に予備校の寮を抜け出しライブを見に行ったが本当にカッコよかった。当時彼らは30前後だったと思うが、あんな大人になりたいと思った。
メンバーは片寄明人、高桑圭、白根賢一の三名、プロデュースとサポートギタリストにドクター・ストレンジラブの長田進、サポートキーボードに堀江博久。最近は物忘れもひどくなってきたが、いまだに宙で言える。元はロッテンハッツという6人組バンドをやってたということで、CD探すが田舎のCD屋には置いておらず、中古盤屋で探して買い求めたが、あまり好みではなかったのは蛇足だが書いておく。
そろそろアルバムの内容について。Richmond Highと比べるとポップな曲調が増えたようにも思えた。勢いがあった。しかしながら曲調は幅広く、心をグッと掴まれるメロディ。どの曲も多種多様な掴み方をしてくる。全13曲捨て曲無しと言っても過言ではない。シングルのカップリング曲すら愛おしい。ちょっとウケ狙いかと思われるようなG Surfですら都会のアメカジな大人はこんな感じなのかなと想像させる。そしてこれらの楽曲をバンドサウンドでやってるというセンスがヤバいと思ってた。どちらかというとこういうポップセンスの高い音楽はもうバンドサウンドでは無かったと思う。各人の演奏については言うまでもないので割愛。
そういえば当時CDの帯にジャンルが小さく書いてあったのだが、great3のアルバムには「オルタナ」と書いてあったと記憶している。90年代は洋楽ではまだメタルは強かったと思うが、それに台頭するようにNIRVANAやパールジャム、REMなどが出てきていた。レディオヘッドもベンズとかその辺か。個人的な好みの話だとベンズは当時から評価すごく高かったがちっとも響かなかった。すごくわかりづらい表現で恐縮だが、当時の新しい音楽は何かよくわからないうねりのようなものを持った演奏のように記憶している。それまではハードロックなどにしても割と整理されていたと思う。それが混沌とした塊のような演奏だったように感じた記憶がある。それはそれで新しいのだがイマイチ聴きどころがわかりづらく、それでも聴いてしまう、というようなものだった。great3の曲も全体的にポップに仕上げてはいるのだが、たしかにオルタナティブな演奏かもしれない。
音楽性の高さもだが、great3の素晴らしさはヒリヒリする歌詞である。片寄氏が実体験に基づき神経擦り減らしながら書いてたとも言われているが生々しい心情の吐露、とでもいうのだろうか、今聴いても心に刺さる。この傾向は3rdアルバムのロマンスまで続く。田舎の高校生とはいえ、色々と多感な時期であり、慰められたり、勇気づけられたり、涙したことも何度となくある。しかし当時は幼さゆえ歌詞の意味がわからないことも多々あった。改めて聴くと新しい感動がある。この歌詞のヒリヒリした切迫感は3rdアルバムのロマンスで最高潮に達するのだか、それもまた後述。
サブスクでなんでも気軽に聴ける良い時代。今はGreat3もApple Musicで聴いている。当時はパソコンもインターネットも無かったので、現地調達しか無い。そのため音楽の聴く幅も限られてるし、田舎だと手に入れることすら難しい。だからか余計に思い入れが強く、だいぶバイアスがかかった状態で聴いているので、これを読んで聴いてた方は肩透かしを食らうんじゃないかと危ぶまれるところもあるが、これだけ強い愛を持って聴いてた子どもが過去にいたという記録の意味も込めて。
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