#6 ADHDで良かった!
5年間私の夢だった"発展途上国で教師として教壇に立つこと"がADHDの告白によって叶わなくなった。
試験はすでに合格していた。あと1ヶ月で派遣訓練という時だった。ここではそれについては詳しくは書かないが、5年間夢のためにしたことは数知れない。
今も苦しいし悔しい。やってもないのに私のことを知りもしないのに、ADHDという理由だけで「できない」と決めつけられて可能性を切り捨てられたのだから。
だけど今日は、そんな今だからこそADHDで良かったことを書いていこうと思う。
1.目標のためにはリスクもいとわず何でもできること
発展途上国で教員として活動するためにやったこと
○語学学習
毎日の英語学習と夏休み、冬休みの長期休暇を全て使って英語の研修や短期留学に行った。
○目の手術
途上国でコンタクトをつけるのが衛生的でないと思い手術をした。
○授業力をつけること
○5年間してきた教員を退職する覚悟がある
(実際退職しかけた)
したいことのためにはどんなこともできた。
私とって、5年間積み上げてきた教師の仕事を辞めるのも全くもってリスクではなかった。
ADHDだからなのかはわからないが友達や周りの人ほぼ全員が私の考え方や行動力を特殊だと言った。私にとってのリスクはあくまでチャンスを逃して現状維持すること。
私は私のこの考えが好きだし、だからこれからも目標を見つけて活き活きと生きていけると確信している。
2.脳にコンプレックスを抱える人の気持ちが分かること
家族の中で最も頭のキレる祖母が初期の認知症になったときに祖母に言えた。
「私なんか生まれた時から認知症やで笑」
鬱病で一時的に物覚えが異常に悪くなった友達と話していたとき。
「私なんか年から年中その記憶力やで笑」
全部ではないけど、不安な気持ちの少しはわかってあげられる。だから物覚え悪くて良かったって思う。
3.教師として発達障害がある子どもに寄り添える
これは言わずもがなである。彼らの気持ちは痛いほどわかる。そしてこれから生きて行く世界がどのようなものであるかその一部を経験している。
私にだからできることがあると思う。
彼らの気持ちを理解すること
彼らにも分かりやすい授業をすること
だけど何より大切なのは
私自身が幸せに生きて、彼らの希望になることである。今はまだ立場上私がADHDと公言することはできない。(言わなくても薄々皆気づくけど)でも近い将来、ADHDと生きる幸せな女性のモデルとして公言できるようになればな、と思う。
私の旅はまだ続く。