とりあえず、観に来てほしい
おはようございます。
今日も、#りめわる に関して少しお話。
そろそろ真面目に書こうっと(笑)
次回出演舞台【remake WORLD】。
私がこういう舞台に出ることはとても珍しい。
こういう舞台ってどういう舞台?
って言われると説明に困るけど……
なんていうか……その、ドロついてないキラリと光るやつだ。(?)
この現場から学ぶことが多いので、心境の変化や自分自身に与える影響も含めて備忘録として綴りたい。
至極当然のことなのだが
殺陣やダンスはパフォーマンスであり、見せることを前提とした身体の動きをする。
決められた形(ポーズ)、決められた足の運び、様々な振りを身につけていく。
その装飾一つ一つに意味があり、言葉が含まれている。
身体に多くのメッセージを持ち、動きで観客に伝えるものなのだと私は思う。
しかし私は幾度と無く、装飾を取り外し、自分自身の解体を試みてきた。等身大よりも更に剥き出しになろうとした。
からっぽの自分が、外的要因か何かしらの影響を受け、身体に起きた出来事は自分の意識の外側からきたものという感覚を持ちつつ、客観的に自分の体と向き合うことに集中し没頭する。
上手く言語化出来ているかは分からないけれど、そういうことをベースに、身体表現をしてきたように思う。
それは坐禅を組むのと似ていると言われた事がある。
自己暗示?セルフマインドというやつかな?
結果的に、身体が動いているという点では同じだが、後者は誰かに見せることを考えていないかもしれない。
視点は天地前後左右関係無く、言葉は受け取り手に委ねる。
なんなら…私は役作りすら、観客の想像力に委ねることが、ある……。
そもそもそれって表現なのだろうか?
表現と呼んでいいのか?
「表現とは何か?」という所に論点が飛びそうなので、一先ずコレは置いておこうっと……(っ・∀・)っ
「身体表現=ダンス」の考えが何故か一般的なので、オーディションなどで貴女のダンスのジャンルは何?と聞かれた時に「えぇと、コ、コンテンポラリーですわね…オホホ~…」とか言ったりする。
(「暗黒舞踏」については大体「なんですかそれ」と返されて説明が面倒だし、そもそも私はダンスをしているという意識を持ってはいないのだから、なんと答えたらいいのかは分からない。)
前者が
言葉を頭で考え、体現する
とすると
後者は
身体に考えさせ、言葉を生み出す
かもしれない。
前者をα、後者をβと名付けます。適当に。
お芝居をしていく中で、このαとβを組み合わせてマッチングさせていくのが物凄く大変で、物凄く楽しい。
だが…
しかし…
やはり…
私にαは難しい…と、挫折しそうになる瞬間が多々ある。
そもそもβがマイノリティなのでは?
むしろそんなことをしているのは私だけなのでは?
↑これに気づくのが遅すぎた。
キラリとした作品は、面白いはずなのに、殺陣もダンスもこんなに好きなのに、いつだって自分の肌に馴染まない感じがするのは何故なんだ?
と、理由も分からず疑問符を頭に浮かべながら今の今までノリと勢いでやってきたんだなと思うとゾッとする。
ただ、ちょっと、何かをズラせばほぼ同じになりそうなのだ……。
何をどうズラせばいいかが分からないけれど
今、私の中のαとβが、近いところにいる。
近いところに無理矢理寄せた。
どうしても歩み寄らせたいし、苦手だからと言って知らない表現の世界を自ら遠ざけたくはない。
これも至極当然の事だが
殺陣には必ず戦う相手がいる。
思考した言葉のレベルまで、お互いの身体を、如何に何処に持っていくかがネックであり、私にとっての殺陣における今後の課題になるのだろうなと思う。
ここにダラダラと書き綴ったが
結局私が何が言いたいかと言うと
タイトルの一言に尽きるのである。
読んでくれてありがとうございます。
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伊井ひとみ