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156cm/65kg、セクハラすらされない若者だった|わたしのダイエット遍歴

物心ついたときから痩せていたことなど一度もなく、常に気持ちだけはダイエットをしている。

わたしの現在のスペックをざっくりご紹介すると

2024.12現在
・年齢37歳
・身長156cm
・体重53kg
・体脂肪率30%
という、至って標準(少し脂肪多め)という体型である。

でも、ここに至るまで、10代後半〜30代前半という女性として最も輝いているはずの20年間は、ずっと太っていた。そして、今もまだ自分の体型に納得はできていない。

今後も続けていくダイエットのことをnoteでも書き綴りたいと思い、その第一弾として、ここではこれまでのわたしの体重と生活の遍歴を遡りたいと思う。


【~中学時代】

中学生の頃までは、標準だった。おそらく身長は今とほぼ同じ155cm前後で体重が50kgにいくかいかないか。

片道2km以上の通学路を毎日往復歩き、体育の授業は軍隊のように厳しく、吹奏楽部で毎日腹筋100回からの練習、合奏。間食、買い食いは一切なし。 今思えば、太る隙のない生活だった。

【高校時代】

高校に入学すると生活は一変した。通学は自転車(雨の日は電車)になり、休み時間に友達とお菓子パーティー、愛飲ドリンクは1リットルの紙パック『もも水』、帰り道にドーナツを3個食べて帰って夜ご飯も普通に食べる、なんてことも。

入学時50kgちょっとだった体重は、1年後57kgまで増えていた。ここがわたしの肥満人生のはじまり。

加えて高2の秋頃にメンタルを弱らせてしまい、今思えば完全に過食症だったのだが、明け方に家を抜け出してコンビニまで行ってお弁当やお菓子を買い込んで部屋で食べ、親にバレないようにそのゴミを処分する……なんて日もあった。

気づけば体重は、60kg目前というところまできていた。

【大学時代】

大学に入って一人暮らしを始めて数ヶ月間は、ダイエットしてキレイになって華の大学生活を楽しむぞー!と思って頑張っていたものの……

始めたバイトは、何を血迷ったかお好み焼き屋さん(賄いあり)。毎日のように、夜中にお好み焼きや焼きそばを食べる日々。

高2からのメンタル不調による爆食もたまに続いていて、大学1回生の冬には65kgほどの完全なる肥満体になった。

フリーサイズの服でも入るかどうか不安で試着すらためらい、入らない可能性が高いから通販で服など買えない。大学でもあからさまにデブキャラ扱いされ、イベントでみんなでコスプレ衣装を着る話になると自分だけ入らないのではないかと憂鬱になる。海に行ってみんなが水着になる中、一人Tシャツを脱ぐことができない。

などなど、ところどころで不便でつらい後ろめたいような日々だったものの、幸い普通に恋愛は出来て彼氏もいたし(なんならあの体型にしてはモテていたほうだったのでは)、若かったのもあり健康に支障はなかった。

だから、今思えばあんまり真剣には考えていなかったように思う。

【社会人(20代前半)】

大学を卒業して社会人になっても、周りの人は一生懸命コロコロと仕事をするわたしを重宝してくれて、太っていてもかわいがってもらえる環境だった。

いくつか恋愛もした(そのうちのひとつが今の夫)。

仕事が忙しく、食事はボロボロ。朝はコンビニおにぎり、昼は16時頃にどうにか休憩に出てその時間でもやっているご飯屋さんでガッツリ定食、夜は終電間際にラーメンとビール、帰宅後は即就寝。

そんな生活で痩せるわけもなく、体重はずっと65kg近辺をキープ。彼氏に振られたタイミングで一時的に3kgほど痩せたものの、すぐにリバウンド。

半ばあきらめていた。職場には自分より太っている人が結構いたし、その人たちは楽しそうだし、今のままでもかわいがってもらってるし、と。

しかし印象的だったのは、当時部署内に何人かいた上司のうちの一人のおじさんの態度。

若い女子とあらばあからさまに優しく接し、時にセクハラまがいのこともする彼は、わたしには全くそういったことをしなかった。

別にセクハラをされたかったわけじゃない。
でも、その時「あぁ、わたしは23歳の若い女子のはずなのに、彼の中では『若い女子』の部類には入らないのだな」と、ショックに似た感情を持ったことをはっきりと覚えている。

若い女子としての人権は、わたしには、ない。
セクハラをする価値すら、わたしには、ない。
そう突きつけられたような気分だった。

それでもわたしを女性として好いてくれる人は何人かいたし、真剣に痩せようとまではしなかった。

それからその会社を辞め、心と時間のゆとりができたこともあり、次の会社に入社するまでの間の数週間は毎日夕方に1時間ウォーキングをした。

音楽を聴きながら歩くと思考がクリアになっていく。その時間はとても貴重で、心の余裕から食生活も整い約2ヶ月で5kg痩せ、60kg前後になった。25歳のことだった。

【20代後半】

それから次の会社(今の会社)に入社して、3kgリバウンド。63kgくらいがデフォルトに。

結婚が決まった26歳。
結婚式にむけていろいろ試行錯誤して、5kgほど落とした。が、その後また5kgリバウンド。

そうこうしているうちに27歳で第一子妊娠。
63kgスタートで、臨月出産前MAX70kg。

産後28歳。
スルッと妊娠前の体重までは戻ったものの、それ以下にはならず。また63kg前後がデフォルト値。

29歳。
保育園の洗礼を受け息子の病気ラッシュ。風邪、胃腸炎、手足口病、インフルエンザ……いろんな病気を息子経由でもらうもらう。体調不良を繰り返すうち、体重は58kgまで減っていた。

【30代前半】

30歳、第二子妊娠。
臨月出産前MAX体重は65kg。体重はごく標準的な増え幅で抑えられた。

出産後、赤ちゃんと羊水と胎盤で5kgは落ちるはず……60kgスタートで産後1ヶ月を過ぎたらダイエットだ!と思っていたものの、産後数日経ってもまったく、本当にまったく、減らない体重。

え?
産んだよね??
わたし、産んだよね???

産後2ヶ月かけてようやく3kg落ちたものの、こんなはずではなかったと絶望。

そこから赤ちゃんを抱っこしながらでもできる筋トレなどを取り入れ、産後1年でなんとか60kgくらいまで落とした。

ターニングポイントは32歳。
コロナ禍で外出できなくなり、子どもたちの保育園も休園、家事育児をしながらの在宅勤務で、尋常ではないストレスの日々。

家にいると負の感情に支配されてしまいそうで、気分転換のために、夫と交代で夜一人でウォーキングに出ることにした。外の空気は気持ちよくて、誰にも制限されない気持ちよさから、なんとなく走ってみる。

すると「あ、いける!」と思った。

子どものころから運動が苦手で、ランニングなんて自分には縁のない話だと思っていたわたしでも、誰とも比較されず、怒られず、自分のペースでならば。

これなら、走れる!

そう気づいてから走るのが楽しくなった。毎日夜走った。走るのがしんどい日は歩いた。

食生活は変えず、よく食べよく飲んでいたから、体重はすぐには減らなかったが、2ヶ月で体脂肪率は4%落ちた。それに続いて体重も2kg落ちた。

今思えば、この最初のタイミングで「ダイエット」と称して、●kg痩せる!という目標を掲げなかったことがよかったのだと思う。きっと目標を掲げていたら、体重が減らなかった最初の2ヶ月で心が折れていたに違いない。

ただ、なんかすっきりするから走る。歩く。ほかに動く機会がないから、なるべく毎日やる。ただそれだけ。

運動習慣がつくと、毎日やらないと気持ち悪く感じるようになり、雨で外に出られない日はYouTubeを見てエクササイズするようになった。それをX(旧Twitter)で毎日報告するようになった。フォロワーさんが応援したりほめてくれるようになった。

そうなると、食事も気になるようになった。
できる日は、食事管理アプリに体重と食事内容を記録するようになった。すると、食品のカロリーやPFCバランスを理解できるようになった。

体重は毎日朝晩はかるようにした。
食事内容や体感の体の重さ軽さで、「今日はこれくらいの体重だろう」と体重をはかる前になんとなく予測がつくようになった。

食べることもお酒も好きで我慢はきらい。痩せられる要素など皆無だが、少しの努力と気配りで1年に約2kgずつ、4年で約8kg痩せた。

そうやって出来上がったのが、現在のわたしである。


一生ダイエットしていればいい。


「一生ダイエット」というと、いつまで経っても目標を達成できずにダラダラしている人のように感じてしまうが、そうではない。

「一生健康を意識し続けること」つまりそれは大切なことなのだ。

継続するために、無理をしないこと。頑張れそうなときは頑張ること。頑張ったことをどこかで共有して、あわよくばほめてもらう場を設けること。

なんとなく、自分の健康と美に対する意識が固まってきた、37歳現在のわたし。

楽しく、できる範囲で、健康的に、一生ゆるーいダイエット続けていこうと思っている。

【余談】

体重もBMIもただの数字だから、それだけで語るのはナンセンスだとは思う。

太っている=悪 ではないし
痩せている=善 でもない。

とは言え、体重は気になってしまうのだが。

大事なのは、自分にとっての「生きやすい体型」を探っていくこと。

ダイエットは痩せることではなく、自分の現在とこれから目指す姿、生き方を見つめ続ける作業なのだと思っている。

一生ダイエット、続けるぞ。


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