回り、廻り、厄によって綻びる
※この小説は『東方Project』の二次創作作品です
川に流れる流し雛が回る。麗しき厄神様が踊るように回る。季節はせわしなく廻り、命もそれに合わせて廻っていく。されども、一つとして全く同じようには戻らない。
その厄神様の名を鍵山雛と言う。誰が名付けたのか、それは彼女しか知らない。
彼女は苔むした大きめの岩に座って、空を眺めていた。雲はいずれ雨を降らし、川を伝って海に流れ、また空に舞い上がって雲を生み出す。そうして廻っていく筈なのに、あの形の雲は行ったっきり、もう帰ってくることは無い。それは彼女の美学とするところだった。彼女は流れて来る雲一つ一つを指差しながら、その形に因んだ名前を付ける。もっとも、うろこ雲のような大量の雲が流れて来た日には、辟易して空を眺めることを辞めてしまうのだが。
「あれは太陽雲、あれは魔理沙の帽子雲」
鳥の囀りに掻き消させる程小さな声で呟く。雲の名前は、これまで一度も名付けたことが無いものであったり、朝に他の雲に名付けたばっかりのものと全く同じだったりもする。だが、オリジナル性という観点でそれらを気に留めたことは一度も無かった。名前なぞ、人の間で幾らでも重なるもの。むしろ、己の特別さが他人から与えられたものだけで完成されては、これからの己の特別さを求める旅に出ることができないでしょう、というのが彼女の信条でもあった。
積乱雲が空を埋め尽くし、程無くして辺りは豪水に埋め尽くされた。彼女はこの雲を「冬将軍並みの暴れ雲」と名付けた。
彼女が雨影となるような場所を探していると、一人の河童が川の傍で蹲るように座っていた。
「こんにちわ、確かにとりさんでしたよね?」
「わあ! 急に近づかないでくれよ! 厄が付いたら困るじゃないか‥‥‥」
驚嘆に包まれた河童の顔は、みるみる厭悪の表情に変わっていった。彼女は河童の横に同じように座り、表情を覗こうとした。
「何よ、そんな嫌そうな顔しなくたっていいじゃない。厄はちゃんと付かないようにしてるわよ」
「いや、そうじゃなくて、いや、やっぱり何でもない」
「何かあったの?」
彼女は前に傾いていた帽子を直したが、結局元に戻ってしまった。
「その、何ていうか‥‥‥ 河童って、産む時に子供に生まれてくるかどうか聞くんだけど、中々生まれてくるのを選んでくれなくて‥‥‥」
「悪いけど、それは私じゃどうにも出来ないわ。生まれてくるかどうかはその子の意思であって、厄でも何でもないのだから」
それを聞いて、河童はより一層蹲った。彼女は再度表情を覗こうとしたが、今度は叶わなかった。
しばらくして、冬将軍並みの暴れ雲は向こうへ消えた。そして、河童は「よしっ」と声を上げるや否や立ち上がった。そして、彼女に笑顔を向けて別れの挨拶をしたきり、河童は川を泳いで遠くへ行ってしまった。
ある朝、川の傍に小さな河童が一人歩いていた。彼女が驚かせようと静かに舞い降りると、その河童はかつてこの川の傍で佇んでいた河童と同じような驚いた顔をした。しばらく話していく内に、小さな河童はあの河童の一人娘だと言った。
「あら、あの河童のお子さんだったのね。お母様はいまどうなさっているのかしら?」
「お母さまは、先月亡くなりました。衰弱死です」
「河童で衰弱死って、あまり聞いたこと無いわね。河童って大抵詰られて死ぬものですし」
「子供が中々生まれてくれなかったそうで、私が生まれるまで『絶対に死んでなるものか』とよく言っていたらしいです。近所の悪ガキに『老蛙!』と言われたときも、一度心臓麻痺になったのに、しばらくしてから息を吹き返したらしいんですよ。あはは、おかしい話ですね」
彼女は深々と話を聞いては、口を手を当てて静かに笑っていた。その小さな河童もケタケタと笑いながら話していた。
「そういえば厄神様って厄を集めてますよね。その、なんて言ったらいいかわからないけど、どうして厄を集めてるんですか? いや、別に『厄神様だから』っていう理由ならそれでもいいんですけど‥‥‥」
彼女は少し間をおいて、話し始めた。
「私にとって厄っていうのは、廻るものが全く同じように戻らないようにする役目があると考えているの。例えば、河童の世界に少しも不運が無かったら、河童達は同じような幸せな生活を繰り返すでしょう。でもそれでは誰かは飽きてしまうし、外から見ていても美しくないの。勿論、だから苦労して過ごす人生は美しいなんて綺麗事は言わないけど、誰かは苦労して進まなきゃいけないの。そして、そういう者達が新しいものを生み出していくの。私はその厄を、要らない者達から集めて、それを必要としている者達にあげたりしているの」
「自分から厄を求める奴なんているの?」
「いないわよ。だからこっそりあげたりしているわ。特に妖怪達にはね」
彼女はニヤリと不敵な笑みを浮かべて低い声で言った。小さな河童は怖気づいたのか、足を一歩後ろに移動させた。
「うふふ、もちろん冗談‥‥‥て訳ではないのだけれど、でもそんな酷いことはしないわ。厄っていうのは多くても困るし、無くても困るの。適度にあることこそが特別さに、そして美しさに繋がるのよ」
彼女がいつものように空を眺めていると、あの時の小さな河童のような形の雲が流れて来た。しかし、彼女はこの雲に名前を付けなかった。