鏡の中の瞳

※この小説は『東方Project』の二次創作作品です

 病室の一室で、ベッドの隣の小さな椅子に座っていた。そして、ベッドに横たわった蓮子の顔を見ていた。もう二度と開くことのない瞼の奥にあの綺麗な瞳があるのだろうかと、そう思いを馳せながら。

 涙は出なかった。でもそれは無情を意味するものではないと自分に言う。だって、こんな科学世紀に泣く機会なんてそうそうないもの。泣き方だって忘れるわ。
 壁にかかった健康状態投影モニターには"Life activity can't be confirmed"というサインが映し出されている。そんな言い回ししないでさっさと「死んだ」って言えばいいのに。
 棚に乗った黒い帽子を手に取った。「遺品」という付加価値が付いたそれはとても重々しく存在した。つい三十分前まではそうではなかったことも相まって。
 自分の帽子を取って棚に置き、蓮子の帽子を被ってみた。
「どう、似合ってる?」
 鏡の前に立った自分に聞いてみる。
「全然。 蓮子の方が似合ってる」
 鏡の前の自分はそう言った。

 旧型酒が入ったスキットルを開ける。この絶妙な形状と質感が好みなのだ。喉越しは新型酒と比べてあり得ない程悪いが、それでこそ古来からの酒というものなんだろう。
 少し酒を喉に入れた後、大きく息を吐いた。同時に目の奥に涙が溜まる感覚に襲われるが、目を大きく開けてそれを防ぐ。小説、アニメ、ペット、人間、どれにおいても頭では死を案外すぐに受け入れられる。しかし、身体がそれを受け入れるには程々に時間がかかるんだなとしみじみとした。
 再び酒を喉に入れ込む。昔の人はこれで酔って様々な苦しみから目を背けていたのだろうか。スキットルを軽く揺らす。
「メリー?」
 スキットルが強く揺れる。今のは、‥‥‥蓮子?
「ねえ、メリー」
 蓮子? とくぐもった声が口から零れ出す。でも、目の前の蓮子は眠ったままだ。
「ねえ、メリー。 こっちだよ」
 鏡だ。顔を向けると、蓮子が鏡の前で手を振っていた。
「メリー! もう会えないのかと思ったよー」
 にっこりとした顔が鏡に映っている。私はといえば、相変わらず顔は固まったままだ。こんな状況で『私もよ!』 なんて言えるのは蓮子だけだろう。
「やっぱり、そっちだと私が死んでるのね‥‥‥」
「え、じゃあそっちだと」
「うん、メリーが死んじゃってるの」
 蓮子は鏡を離れた。私は椅子を立って鏡の奥を覗く。ベッドの上に私が眠っていて、健康状態投影モニターには"Life activity can't be confirmed"と映し出されていた。
「ねえ蓮子、これってどっちかが本物の世界でどっちかが偽物の世界、てことなのかしら」
「さあ、そんなことはどうでもいいんじゃないの? どっちかの世界が崩れて無くなるまでは区別なんかつかないって、メリーが一番分かってるんじゃないの?」
 蓮子はシュラグのポーズを取って、ヘッと息を吐き出した。確かに、現実と夢の区別なんかつかないって、相対性精神学じゃ大前提みたいのもんだったわ。
「それで、これからどうするの?」
「それでって‥‥‥」
「もちろん、私達ずっとこのままの訳にはいかないでしょ。 <鏡>を壊すか、メリーの<目>を壊すか‥‥‥」
 ‥‥‥。
「どっちも壊さない、てことは出来ないの?」
「どうだろ、別に出来るんじゃないかな。 でも、夢と現に区別が無いとしても、どっちかが本物だって思わないと辛いでしょ。自分自身で何かを偽物だって切り捨てないと、本物だってつくり出すことは出来ないの。だから‥‥‥」

 ハッとして目を開ける。手に持ったスキットルが異様に軽かった。いつの間にか飲み干していたらしい。ベッドの上の蓮子は眠ったままだった。

 その日から、私は結界を見ることが出来なくなっていた。



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