十万分のほぼ十万のクローバー

※この小説は『東方Project』の二次創作作品です

「だから、運の良い友達をつくりましょう」
 母校の大勢の後輩を前にそう高らかに謳う。さっきまで散々遺伝子と能力の相関関係だったり、才能や運と成功に関するシミュレーションについての論文をスライドで紹介してニヒリズムを煽ってたくせに急にそんなことを言うのか、と視聴覚室は一時騒然とした。そりゃそうだ、高校一年生を対象にした進路の参考のための講演会に"社会的成功"を収めたOBとして出演しているのだから、悲観論なんかで終えてしまったら恩師から総バッシングを受けるに決まっている。僕は今一度グースネックマイクを調整して口を開く。
「勿論スピリチュアル的な話をしているのではありません。ですが先ほど話したように、社会的成功を収めるには幸運は必要不可欠です。無論、勉学に励んで予測可能な不幸に備えたり、様々なことに挑戦して幸運を掴み取る機会を意図的に増やす、といった努力は最低限してください。その上で、運の良い友達をつくる必要があると私は思います」
 誤解を招きそうな言い方だなとは終始思ってはいるが、これ以上端的で分かりやすい言葉が見つからなかった。
「友達をつくる。と言っても色々な解釈の仕方があります。文字通り日常生活などで何気に運が良い人と友達になること、と捉えても構いません。私も現役生だった頃にそういう人居ました。何のゲームをしてもサイコロ運が凄い強くて、いかさまが無いようにブラウザ上で振れるサイコロでやってたんですけど、すごろくで3以下出した所を私は終始一度も見ませんでした」
 自分の顔が少し歪んだように感じて、口元を指で軽く撫でる。
「別の解釈もあります。自分で言うのも何ですが、社会的成功を収めている人が言う成功論は、大抵才能があったりチャンスがあったり生まれがよかったり、まとめて言えば運の要素が強く再現性は正直ありません。はっきり言ってこういう人達を気に入らない人は多くいると思います。ですが、こういう人達とこそコンタクトをとる機会があるなら積極的にとるべきだと私は思います」
 今度はちゃんと自分の顔が歪んだのを感じたので、口元を強くなぞる。恩師達が関心深く頷いている。それを見て、僕はこの講演会の甚だしい矛盾に頭を抱えながら話を続けた。

 講演会を終え、自宅への帰り道、乗り換えをする筈の駅で一度改札を出て、歩道を一人のらりくらりと歩く。橙に染まった街路樹に橙色の陽が照り付けている。

 歴史的大発明となった新型手術ロボット、その開発チームに携わった若き天才医師。これが僕に付けられた箔だ。しかし僕はどうしてもこの箔が気に入らない。
 まず「天才医師」という単語が誤解を招く。僕が評価されたのはロボット工学と医学との接合点における発想であって、超凄腕の医師でもなければ、ロボット工学でも最先端を走るような技術や知識を有していない。
 それに加え、僕がこの箔を得たのは単に運が良かっただけなのだから、あんなにも持てやされるような箔に自分は相応しくないのだ。僕よりロボット工学と医学供に優れている人物を大学内で三人も知っている。しかし彼らが手術ロボットの開発に興味を示さなかったから、僕に役目が回って来ただけなのだ。

「卑しい人間が」
 僕はそう呟いた。自分に向かって言った言葉だったが、偶々たまたま歩道の反対側から通りかかった人に聞かれていないか心配になった。
 しかし事実なのだ。講演会であんなことを言ったくせに、自分は他人ひとが幸運に恵まれているところを見ると、どうしようもなく気持ちが悪くなって、その人と居ることが耐え切れなくなってしまう。それはきっと、心のどこかで他人の幸運を蔑んでいるからなんだろう。

 高校生の頃はよくあった。講演会でも言ったその運の良い人はとても気さくでオープンマインドな性格だったので、内気な僕でも友達になれた。しかし、WEBサイコロで高い数字を出される度に僕は変に気持ちが悪くなって、長期休みを機に友達を辞めてしまった。

 大人になってからもその癖は治まらなかった。僕が開発チームの連れで大きなパーティーに行ったとき、ある女性に一目惚れしたことがあった。その後彼女との関係は順調に進んでいき、彼女の父親と面会した。その人は財閥の創業家の一族で、やいの給料が低いだとか、やいの実家が細いとか、執拗に僕に絡んできた。駆け落ちでもしようかと冗談半分に彼女に誘われたが、僕はその晩に彼女に別れを告げ連絡先を削除し、翌週には今の家に引っ越してしまった。別に執拗に絡まれるのが耐えられなかったとか、彼女のことが本当は嫌いだったからとかではなく、只彼女と居ると気持ち悪さが絶え間なく襲うようになってしまい、彼女との関係に耐えられなくなってしまったのだ。

 僕はあるビルの角を曲がり、ビルに挟まれた小さな神社に入る。社の前に立ち、財布の中から十円玉を取り出そうとしたが、やっぱり百円玉を取り出して賽銭箱に投げ入れる。鈴を鳴らし、二礼二拍をして、心の中で自分の住所と名前を唱えた後、続けてこう念じた。
(どうか、不幸な目に遭いませんように。せめて、奇跡とか幸運とかそういった類のものは要らないので、不幸なこと、それも予測不可能な不幸だけでもいいので遭いませんように)
 深々と一礼をして踵を返す。予想外は人生の良いスパイスとは言うが、僕は辛い物が嫌いだ。
 そう鬱憤を零しながら紅葉の山をグシャグシャと踏み潰していく。しかし行きとは全く別の感触に気付く。あれ、参道にこんな紅葉落ちてたっけ。
「‥‥‥」
 眼前には紅葉を身に着けた木々の大群が広がっていて、褪せた赤色やら黄色の朽ちた葉が地面の土を覆いつくそうとしていた。あ、此処違う世界だ。


 足が棒になった。これだからインドア派は、と思った。
 最低でも一、二時間は歩いてきたのだろう。やっと景色が変わったと思ったら、今度は竹林に挟まれた道が延々と続くだけだった。日が暮れてきていて、あと一時間もあれば完全に夜になろうとしていた。
 ある所で足を踏み出すと、その瞬間地面の土が一気に崩れ、左足が深くまで沈む。身体が前に倒れ始めた時、その落とし穴の下に幾本の竹槍が配置されているのに気付いた。
「ひぇっ」
 僕は急いで顔と胴体を竹槍の間に沈めた。身体が完全に倒れ込むと、右腕と右脹脛ふくらはぎに竹槍が刺さっていた。腕はまだしも、脹脛の方はかなり深く入ってしまい、身動き一つ取れなかった。唸りながら足の方を見ると、竹槍に血が流れているのが見える。
 間もなく、誰かが落とし穴の縁に訪れた。
「えーへへ、鈴仙。今回はちょっと小細工をして‥‥‥え、誰」
 いたずら好きそうな少女の声に顔を少し向ける。兎の耳をした幼い少女がそこには居た。
「初めまして‥‥‥いきなりでなんですけどすみません助けてください」
「え、もしかして人間?」
「そうですけど‥‥‥そういう貴方は妖怪か何かで?」
「ちょ、ちょっとそこで待ってて、鈴仙呼んでくるから!」
 少女は一度その場を離れ、すぐに戻って来た。
「今手下の兎に伝えて来たから、もうちょっとだけ待ってて!」
 僕はその声を聞いた後、大きな溜息を一つついて、瞼を閉じた。


「起きてください、起きてください」
「あ、はい。すいません」
 上半身を勢い良く起こした。僕はいつの間にか病床に連れてこられていたらしい。奥の方で制服姿の兎の耳をした少女が慌ただしく走り回っていた。僕の隣座っていた青と赤のツートンカラーの人が口を開いた。
「今忙しいからすぐに話すわね。私は八意永琳。それで此処は幻想郷って言って‥‥‥」
 説明は三分で終わった。衝撃的な内容に対し、双方供に沈着していた。彼女は言い終えるとそそくさと奥の方へ消えてしまった。
「あーあ」
 僕はそう言いながらベッドに倒れ込む。彼女曰く、もう元の世界に帰れないと。はぁ、しょうがないか。次のこと考えよう。
 テトテト、軽い足音が聞こえて、あの悪戯少女兎が現れる。
「やっぱり妖怪でしたか」
 名前は因幡てゐでしだっけ。
「いっやー。ごめんごめん。人が来るんなんて予想外でさー。完全に妖怪用の穴掘っちゃってたからさー」
「そう」
「あ、そうそう。お師匠様からもう聞いてるかもしれないけど、私は因幡てゐ。幻想郷で一番偉い妖怪よ」
「へえ、凄いですね」
 僕は白けた口調でそう言った。
「ま、まあ冗談よ冗談。それで怪我は?」
「幸い右足の不全骨折で済みました」
「そう」
 てゐは僕の顔を少し眺めた後、徐に口を開いた。
「変な顔してるね」
「えっ」
「違う違うそうじゃなくて、怒らないのって意味。だって人間にとって骨折って凄い大変な怪我なんでしょ」
 僕は一度深呼吸をしてから話し始めた。
「それはそうだけど、君が落とし穴を掘った所って人間が訪れるような場所じゃないから、人が穴に落ちるケースに対する対策を講じる責任が君には無いし、こればっかりは私の運が悪かった、のが悪いと思っているので‥‥‥」
 てゐは少し俯いてしまった。まあそうか、只の会話なのに法律まがいの信条を持ち出すなんてナンセンス過ぎるか。てゐは少ししてまた口を開いた。
「君は優しいの?」
 てゐが尋ねる。質問の真意が分からなかったのは僕の落ち度なのだろう。
「どうなんだろ‥‥‥。まあ心が許す限りは、なるべくね」
 てゐは黙ってしまった。そして、いつの間にか姿を消してしまった。


 僕はそれから半月ほど永遠亭で入院した。実は骨折だけではなく、軽度の鬱病も患っていると言われた。
「骨折はもうじき直るけど、逆に鬱病が変に悪化しているわね。貴方何か永遠亭でストレスになるようなことをありまして? それとも何か根本的な精神疾患を抱えていらっしゃる?」
「そんな筈は無いとは思いますけど‥‥‥」
「そう。何かあったら何でも言いなさい。こういった病気は薬で荒治療してもすぐ再発するから」
 それを言い終えると、八意はもう別の場所へ移動してしまった。
 鬱病‥‥‥。もしかしたら、最近やけにてゐから渡されるクローバーが原因なのかもしれない。

 当初のクローバーの葉の枚数は十枚だった。月明かりで正面の障子が超若干耀かがようような夜、てゐは十つ葉のクローバーを僕に差し出してきた。「月が綺麗ですね!」という台詞と供に。
 僕はすぐさま「私には月が見えません」という台詞と供に、十つ葉のクローバーとてゐを追い返してしまった。
 趣味悪い冗談だと思った。僕は真偽を確かめようと、次の日何度も詰問した。しかし、いくら話しても冗談とは思えなかった。他の永遠亭の人達も「あれは本気だよ」と口を揃えて言った。
 趣味悪い冗談であって欲しかった。でなきゃ、僕は罪悪感と、十つ葉のクローバーが催促する気持ち悪さと、曖昧で釈然としない恋愛感情で頭がおかしくなりそうだった。恋愛感情なんて、あれ以来何が本物なのかどうか分からなくなってしまったのだ。

 てゐは懲りずに、別の日には十一つ葉のクローバー、またその別の日には十二つ葉のクローバーを差し出してきた。てゐはアプローチの形を変えながらも「結婚してください」の一点張りで、対して僕は「嫌です」の一点張りだった。
 それやり取りが妙に心に応えてしまったのだろう。僕は外の世界に居る時よりも睡眠時間が減少してしまっていた。

 入院してから一月が経とうとしていた。ある夕暮れ時、僕はてゐに連れられてリハビリがてら外を散策していた。竹林を歩いて数分、てゐは突然立ち止まった。
「その、これ‥‥‥」
 てゐはこの日十九つ葉のクローバーを握っていた。
「もう率直言おう! 結婚してください!」
 てゐは僕にそのクローバーを差し出しながら言った。僕はまたあのグッチャグチャの感情に呑み込まれ、頭がおかしくなっていた。今日は特に酷く、返事が上手く思いつかなかったのだ。
「なんで‥‥‥」
 なんとか言葉を絞り出し、返事をしようとした。
「なんでって、その‥‥‥。オオクニヌシに似てるから‥‥‥」
 てゐは細々と言った。
 オオクニヌシって、てゐがよく言うあの日本神話のヤツ‥‥‥?
 あんな意気揚々とてゐが自慢する奴と、僕が似ているだと?! 節穴なのか?! 僕がそんな高潔な人間な筈が無いじゃないか! こんな他人の幸運を蔑むような人間が、こんな他人との関係をバッサリと切ってしまうような人間が、こんな卑しい人間が?!
 僕は更にグッチャグチャの感情に呑み込まれた。きっと、誰かにまた告白されるなんて幸運、しかもあんな幸運の持ち主に愛されるなんてことを認めたくなかったんだろう。
 僕は今度こそ耐えられなくなってしまった。


 僕は嫌になって逃げだした。行くあてなんて無い迷いの竹林の道を無我夢中で走り抜ける。それでも思考は冷静で、こんな僕を助けようと必死なのだ。
(馬鹿め、何をしているんだ。そんなことをしたって何一つ良いことなんてないじゃないか。運良く人里にでも辿り着ければ良いとか思ってるようだが、お前だけが特別なんてあり得ないんだぞ)
 それでも足は止まらない。強迫観念に身を任せて更に強く地面を蹴りつける。そして、その度に自分の別の卑しさに向き合わせられるのだ。

 僕は竹林を歩いていた。心も落ち着き、さっきまでの狂気も忘れてしまった。
「何を馬鹿なことを‥‥‥」
 そう嘆く。そうだ、そうだった。僕は、昔から運の良いことがあると、次は同じくらい運の悪いことが起きるかもしれないなんて思っちゃって、それでよく気持ち悪くなってたな。
 昇進直後の父親が事故で亡くなったこと、景品で当たったテレビが地震で倒れて腕を折ったこと。そんなことがトラウマになっていたのかもしれない。
 本当に馬鹿馬鹿しくて非合理的な心配だ。条件付き確率からしてみれば、サイコロを一回振って6が出る確率と、先にサイコロを百回振って百回6出た後に一回振って6が出る確率は同じだというに。
 もしかしたら、僕が他の人の幸運を見て気持ち悪くなるのは、その人が今度は不幸な目に遭うことを想像したくないから、なんじゃないのか‥‥‥?まあ自分がそんなお人好しな性格なのかは知らないけど。
  そう考えているうちに、僕はいつの間にか落とし穴に落ちてしまっていた。しかし今度は竹槍ではなくロープネットだった。

 暫くして、てゐは落とし穴の前に訪れた。
「その‥‥‥ごめん」
 僕は面と向かって伝えるつもりだったが、思ったより小さな声になってしまった。
 てゐは穴の前で黙ったまま屈んだ。そして、徐に右手を僕に差し出す。その手には三つ葉のクローバーが握られていた。


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