退屈は誰がためにある

「お母さん見て! 星だよ!」
 そう言って赤いリボンをした幼い少女が空に指差す。居る筈の無い我が子を見て、此処は夢だと分かる。
「そうね、綺麗ね」
 星空を見て一度も綺麗だと思ったことは無いが、この子がそう言うならそうなのだろう。きっと私が知らないだけで、世界にはもっと綺麗なもので溢れているんだわ。

 そうでしょう、博麗霊夢。

 我が子の柔らかくて小さな手を握り、博麗神社までの長い石段を上る。これまで鬱陶しいと感じていたこの長ささえ、今はもっと続いて欲しいと願うばかりで。
「ねえーお母さーん、疲れたー」
「我慢しなさい、貴方は次の代の博麗の巫女よ。こんなんでへばってたら務まらないわよ」
「分かったー」
 なんて素直な子。幻想郷もこの子ほど素直になればいいのに。

 私は博麗神社の寝室で絵本を読んでいた。眠らない夜の静寂と調和するようにひっそりと。
「ねえお母さーん、その話飽きたー」
「そう、じゃあまた新しい絵本買ってあげるわ」
 私はよく「吾輩は猫である」聞かせられてたなぁ。結局あれってどういう話だっけ。
「じゃあアレが良い私、あの本が良い」
「何の本?」
「アレ、えっと、あの本。あれ? 名前思い出せない」
 そう言って彼女は俯いた。私はすぐに黒髪の小さな頭に手をやって、そっと撫でる。
「大丈夫。今思い出せなくても、明日あしたになったら思い出せるわよ」
 貴方の明日なんて、私が目覚めたら無くなってしまうのに。そう思ってしまう自分がとても淋しかった。
「じゃあおやすみ。お母さん」
 掛け布団からはみ出した彼女の頭をまた撫でる。今度はもっとゆっくりと。
 撫でていると、東の方の景色が東雲色に染まってゆくのに気付いた。こんな幸せなことがいつまでも続かないことは分かっていた。でも今は、今だけを見ていたい。

 気付けば、私は布団の中で一人になっていた。障子から差し込んだ朝日が部屋に漂う埃を照らす。。いつもの朝、日常の朝、そんな体を成した空気のせいか息苦しくも感じる。この感じは、紛れもなく現実だ。そう頭の冴え方からはっきりと判る。褪せた色彩の視界がモノクロのように見えた気がした。

 布団の上で上半身を起こしたまましばらく動かなかった。眠くも無い。温かくも無い。つまらなくも無い。眩しくも無い。紫でも、魔理沙でも、誰かが私を呼ぶまでこのままでいようと思った。
 とでも思ったが、いい加減飽きてきた。だって誰も私を呼ばないもの。掛け布団を取り払い、重い腰を上げて立つ。突如頭に柔らかい痛みが走り、視界が揺らぐ。頭に血がのぼってないんだわ、きっと。

 床に適当にほっぽり出されたお祓い棒を拾い上げる。こんな棒に紙切れが付いただけの物にあれだけの暴力性があるなんて、今の私には驚きさえ感じた。
 ‥‥‥、これって、人間の首ぐらい軽く飛ばせるよね‥‥‥。
「今日死ななかったら、昼にはご飯買って、夕方どっか行って、夜ご飯食べて、寝て‥‥‥」
 呼吸音に無理やり音程を付けたような声を口から漏らす。
「異変が起こったら、戦って、解決して、終わったら宴をして、終わったら又元通りになって‥‥‥」
「死んだら、地獄に落ちるかもしれないけど、もう行ったことあるし、それに買い物しなくていいし‥‥‥」
「結婚とか、子供とか、どうせ数年後の話だし、それまで何日あるのって話だし‥‥‥」
「私が死んでも、華扇とかやってくれるだろうし、巫女だったら早苗がもういる訳だし‥‥‥」

 だから今、こんな卑屈な世界げんそうきょうから姿を消してしまってもかなわない。
 そうでしょう、博麗霊夢。

 私はお祓い棒を首元に軽く当てて――
「霊夢! 遊びに来たぜ!」
 
そこには左手に箒を持ったまま右手で襖を開けた魔理沙が居た。
「あ魔理沙」
「あ霊夢。どうしたんだそんな顔して、いつもの霊夢じゃないぞ」
「あ、ごめん」
 私はお祓い棒を持った右手を下げた。それも魔理沙に感付かれないようにゆっくりと。
「生気が無いぞ霊夢ー、私の生気分けてもいいんだぜ?」
「じゃあ頂戴」
 屈託の無い笑顔をした魔理沙に向かって歩みを進める。その度に魔理沙の表情が困惑していく様子は刺激的だった。そのまま背中に手を回し胸に顔をうずめる。
「魔理沙、何か子供みたいなこと言って」
「え? え? お、おぎゃー」
「違う。もっと五、六歳ぐらいの」
「えっと、霊夢お母さん‥‥‥?」
「うん‥‥‥」
 私は魔理沙の後ろ髪を撫でた。すると魔理沙も私の後ろ髪を撫で始めた。
「ずっとこのままで良い?」
「どうせ十分じゅっぷんぐらいで飽きるんだろ。それまでゆっくりしてるんだぜ」


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