小野瞳というサッカー選手が誕生するまでの道のりとは?
女子サッカー選手として第一線でプレーし続ける中で、
ふと言われた、こんな言葉。
「どうしたらあなたみたいな選手が生まれるんだろう」と、
私は、楽しい一心に自由にサッカーをし、表現しているだけでした。
好きな選手や憧れる選手の真似をしているにすぎませんでしたが、
みんなが面白いというプレーは、どこかタイミングが人と違ったり、
見ている人の想像を超えたプレーをした時だったように思います。
どうやって小野瞳という選手が生まれたのか、背景から導いていこうと思います。
まずは幼少期からーー。
ボールを蹴り始めた3歳
ボールを蹴っていた、という記憶は仙台市で生まれてから3年後の幼稚園のとき。
人見知りでなかなか馴染めなく、友達も多くはいませんでした。
それでもいつも園庭で、タイヤが並ぶ遊具でジャンケン鬼ごっこをしたり、鉄棒をしたりして遊んでいました。
イチョウの木がたくさんあった園庭だったので、秋は大変な匂いだったのをお察しいただけるかと思います。笑
そんな幼稚園の記憶をたどった時に一番最初にくる物語はいつもこう。
〜〜〜〜〜〜〜
いくつもの大きなイチョウの木に囲まれた園庭
上を見上げると、葉と葉の隙間からいくつもキラリとまぶしい光がさしている
指定の体操着に赤い帽子をかぶる二人の子どもは、
時計の針が進むことを忘れるくらいに
ボールを蹴ることに夢中になっていた。
私はいつもドリブルからシュートを狙う攻撃の人で、
彼はゴールを守るキーパーだった。
時に、ボールが顔に当たり鼻を赤くしたとしても、ボールひとつで二人は笑う。
幼稚園での一番の楽しみ、ボールを蹴る夢中な時間。
今日も二人はボールを蹴っている
落葉したイチョウの葉に足をすべらせながらも、
園庭で遊ぶ子どもたちの合間を縫い
ドリブルから右足を振り抜いた。
ナイスシュート!
噛みしめたくて、シュートを放った足をみるのは習慣だ
土の汚れかボールの跡がついている
全体が白くて、一部つま先と靴の裏が赤い、見覚えのある靴だ
中履きの靴!!!!!
それはもう焦る焦る(笑)
(まずい、先生に怒られる。みんなにバレたら。。)
慌てて、ジャングルジムの陰で足元を隠す。
そして素早く園内に入り何事もなかったように装い
外で楽しく遊ぶみんなのことをそわそわしながら見つめている
〜〜〜〜〜
ここでいつも記憶は終わる。
今でも鮮明に思い出せるくらい焦っていたようです。笑
「ボールを蹴る楽しい記憶|調子に乗って反省する記憶」
これは何歳になっても教訓である。
と同時に
これが自分の始まりで原点でもあるということ。
みなさんも子どもの頃の記憶で、今につながることってありませんか?
それからというもの、仙台から松島へ引越し。
松島のスポーツ少年団で仲間とのサッカーに再び出会うのでした。
8歳で出会うサッカーの世界
小学生の休み時間といえば、鬼ごっこ、ドッジボール、キックベース、サッカーなど、人数に応じて、その時の需要に応じて遊びを決めていました。
学校でも学校以外でもとにかく活発。とにかく体を動かす!そんな小学生時代。
近所の男友達に誘われて松島のサッカースポーツ少年団へ
体験しに行った日に驚いたことーー。
すでに入団していた男の子や先輩が女の子の名前を名乗って遊び始めたんです。
「しょうた」→「しょうこ」というように。半ば無理やりな名前もあったけど(笑)
そこで温かい気持ちになったのを覚えていて、迎え入れてくれたのがきっかけとなり、女の子ひとりながらスポーツ少年団に入団しました。
今振り返れば、女の子と一緒にサッカーをすることに対して
周りは多少の抵抗があったと思うけど、とにかくみんながあたたかかった。
ただただサッカーが好き。みんなとボールを蹴る時間が楽しい。
ただ、それだけ。
8歳で出会い踏み出した、サッカーという世界への、一歩。
◆ただひたすらに
単にボールを蹴ることが好きな私は、ひたすらに家の壁にボールを蹴り続ける。
模様は白黒のよくあるサッカーボール。小学生用の4号球。
高さ50センチくらいのコンクリート壁の上には木々を守るための黒いフェンスがつながっている。
上手く当てれば返ってくるが、高さが合わないと、自分で取りに行くか、フェンスに当てて父に怒られるというのが毎度の図でした。
おかげでフェンスはボールの曲線に合わせて少し曲がってしまって、今もそのままに。
たくさん怒られました。それでもフェンスに当てなければいいと、コンクリート壁に当て続けたのを覚えています。
インサイドキック、インステップキック、トーキック(つま先)
足のどこに当てたら飛ぶのだろうと、何度も何度も考えます。
コンクリート壁はブロックが積み重なったような模様をしていて、
まるでキックターゲットをしているようでした。
どのくらいの力で壁に届くのか、よく跳ね返ってくるのか
狙った場所に当てるためにはどうしたらーーー。
跳ね返ったボールは基本的に止めはせず、ダイレクトに直接蹴り込んだ。
何度も、何度も。
◆何度も、何度もコツコツと
小学生の頃、選手として登録すると配られる冊子がありました。その中にリフティングの回数に応じたチャレンジ企画を発見します。ある一定回数できるようになると応募してお店で使えるチケットが必ずもらえる企画です。それはもう練習しますよね(笑)
手で持ったボールから始めるリフティング。
どこに当たれば真っ直ぐ上に上がるのか?
回転しないボールの同じ模様をずっとみるには?
とにかく当てるところに意識を置いて練習していました。
最初は右足のみで目指せ10回、次は20回、50、100…。
そのうち左足を使う頻度を増やしていく、10回のうち1回、5回、10…。
交互にできるようになると足の負担が減っていきます。
練習が始まるまでの時間、終わってからの時間。とにかく夢中になって一つのことを極める時間となっていました。
・・・と月日を重ねるごとに
小学生ながらに、1000回を超えるリフティングができるようになるのです。
一回でも自分の最高記録を更新することって、ものすごく嬉しいんですよね!
解き明かされた小学生時代
5〜9歳・・プレゴールデンエイジ = 神経系の発達が著しい時期
9〜12歳・・ゴールデンエイジ = 一生に一度だけ訪れる、あらゆる動作を短時間で覚えられる時期
このようにゴールデンエイジと呼ばれる時期はとても大切な時間です。
サッカーに明け暮れた小学生時代でしたが、とにかくボールに触れることや、感覚を体に染み込ませることの大切さ。そしてそれがボールを通じてさまざまな神経系への刺激を入れることにつながったと言えるのではないかなと思います。
最近ですと、騒音対策で公園でボールが使えなかったり、家の前でボールを蹴ることができなくなっていますよね。小さい時に、これでもかと「納得」するまでボールを蹴ることで研ぎ澄まされる感覚。そんな大切な機会と時間が失われている中でどのように習得していくのか。動画などで見てイメージができるとはいえ、夢中にボールを蹴り続けることができる時間と場所をどうにか確保したいものです。
そして近年、足元の技術が高い選手は多くなってきている印象がありますが、一つの能力が長けている選手が減っているようにも感じます。(個人的意見です。)
それぞれにある個性を活かし、さらに伸ばしながらチームで生きていけるような選手が誕生するようなきっかけを作りたいですね。
小学生時代の積み重ねは間違いなく、間違いなく、生きていました!!!!!
次節*中学生時代にも歴史あり!
線が細く、こんな体でサッカーできるんだ!と言われてきた私。
私が選手として生き残れた道は、「技術や判断と身のこなし」を得られたから。
どんな選手にも可能性があります。
どんなことにも意味があります。
そう気づける人がたくさんの経験を得られると思います。
メンタル弱い、フィジカル弱い、でもサッカーが好き。
さて、そんな私は中学時代どんなサッカー人生を歩んだのでしょうか?
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最後までお読みいただきありがとうございます。
パーソナルトレーニング|プライベートレッスンについては以下より。
一緒にワクワクする景色を見ましょう!
最後までお読みいただきありがとうございます。 何かのきっかけになったり、少しでも残るものがありましたら嬉しいです。サポートいただく温かいお気持ちと共に、心の声やこれまでの歴史を綴っていきます。また遊びに来てください!