才能に囚われることとその解放「4分間のピアニスト」

才能に囚われることとその解放

ドイツの街並みを歩いていると、その道の至る所に金色のプレートが埋めれていた。
ここはかつてナチスに収容された人が住んでいたことを示すものらしい。
犠牲者はユダヤ人だけでなく、同性愛者、反抗的な者なども含まれる。
プレート見つめていると、通りすがりのドイツ人の男性が話しかけてくれた。
言葉は解らなくても、異国民の私にこのプレートが持つ意味を伝えようとしてくれていた。
土地に宿る悲しみと共に生きているということを彼らは忘れない。
贖罪の因果を辿れば、それは何処であっても同じであろう。
私は此処で何を吸収できるだろうかと考えていた。
史実から目を背けずに人間性を見つめ続けるドイツ映画はいつも学びを与えてくれる。

陰鬱な刑務所に響き渡るピアノの音色。
独身のまま美に人生を捧げてきた老女、クリューガーはピアニストとして名を挙げた過去を持つも、何故か刑務所で囚人らにピアノ指導に従事している。
クリューガーはある日、自分のピアノ演奏を正確に指で追う受刑者の姿に目を止める。
それは怒りを制御できず獣のように暴れ狂う、殺人罪で服役するジェニーであった。
ジェニーの類い稀なる才能を見出したクリューガーは、その才能を開花させようと意気込み、ピアノを通じた交流はやがて互いの秘められし過去を明らかにしていく。
クリューガーとて善意の人間ではない。
彼女を突き動かす原動力は純粋に音楽の熱意だけ。
敵意を向ける周囲を挑発するように、逸脱した技術を見せつけるジェニーの音楽を、クリューガーは容赦なく「低俗な音楽」と切り捨てる。
人生の残された時間を信念に賭けると決めた老いた教師と、囚われし天才ピアニスト
の拮抗が続くなか、事態はふたりを局地へと追いやる。
ふたりに許された時間は、わずか4分間であった。

冒頭、クリューガーが持ち込むピアノに、上階の窓から放たれた金魚が直撃する。
息たえだえに跳ねる金魚の姿と水が滴り落ちるピアノのショットが、これから始まる世界に安易な励ましは不要、私たちに覚悟せよと訴えかける。
悲しみが染みついた土地に流れる柔らかな音色「即興曲 作品142の2 変イ長調」。
何度も心を踏み躙られると、心を閉ざし涙も枯れ果てる。
そんな乾いた頬を撫でるように、何度も流れる美しき旋律。
絶望の淵に追いやられた時、何か信じられるものが必要だ。
クリューガーはクラシック音楽を、ジェーンは抑圧された自分の音楽を。
それは時として自らを捕らう鎖となり彼等自身を苦しめている。
これは美しき師弟関係だけを描いた物語で無い。虐げられ続けたジェニーはクリューガーの真意を的確に見抜き「お辞儀させたくても私はしない」と言い放つ。
時に大胆なアレンジを加えたジェニーの奏でる演奏はそれが彼女の叫び、鼓動となり、観客を混乱に巻き込む圧巻のステージとなる。
4分間に人生の全てを賭ける。4分間、生きる。
ふたりの魂の共鳴から目が離せない。

4分間のピアニスト
Four minutes
2006/ドイツ/115min
監督・脚本/クリス・クラウス

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