史上最強の関脇
【無料で全文お読みいただけます】
豪栄道が、大関昇進を射止めました。
正直、場所前には予想もしていなかった昇進劇。境川部屋関係者、後援会諸氏、さぞや慌てられたことではないでしょうか(笑)
何はともあれ、おめでとうございます。
その豪栄道、勲章というか、記録をひとつ保持していました。
「関脇連続在位最長記録」今場所まで、じつに14場所連続で関脇に在位していたんです。2年以上です。これはすごい記録です。「史上最強の関脇」の一人と言って過言ではないでしょう。ちなみに、記録の第2位はというと、魁皇の連続在位13場所、第3位は琴光喜の11場所です。
が、一方でこの記録には、ある肩書きがついてまわるわけですね。
はい、「万年大関候補」という肩書き。これはありがたくない。つまり、下には落ちなかったけど、上にもあがれていないということですからね。
2位の魁皇、3位の琴光喜は、ともに大関昇進を手にして「万年大関候補」を脱しました。そして、豪栄道もめでたく、このありがたくない肩書きとサヨナラしたわけです。
では関脇の「通算在位場所数」ではどうかというと、トップは琴光喜の通算22場所。次いで2位にはやっぱり魁皇の21場所が来るのですが、他に2人この魁皇に肩を並べる力士がいます。(ちなみに豪栄道は通算15場所で、この部門では第8位)
その2人とは、長谷川と琴錦です。おお、奇しくも二人とも佐渡ヶ嶽部屋ではありませんか。そういえばこの部門トップの琴光喜も佐渡ヶ嶽部屋所属でした。佐渡ヶ嶽部屋は、最強関脇養成所だったのか(笑)
なかでも長谷川は、連続在位記録では8場所連続と、上位三強にやや見劣りするのですが、この8場所連続を二度記録しているのがすごい。この連続在位記録を複数保持している男は、長谷川だけです。
さらに付け加えるならば、長谷川はこうした関脇在位(通算・連続)に名を連ねる力士たちの中で唯一、関脇在位時に幕内優勝を果たしているのです。昭和47年3月場所、優勝決定戦で魁傑を下しての初優勝は、私もよく覚えています。
もう一つ付け加えるならば、関脇在位時に優勝した23人の力士のうち、ついに大関昇進を果たせずに最高位・関脇なのは、長谷川ただ一人。うん、文句なしに「史上最強の関脇」ですね。
ふつうは関脇で優勝したら、待ったなしで大関昇進でしょう。長谷川の場合は優勝した昭和47年当時、大関が四人もいて、しかも揃ってふがいない成績が続いて非難にさらされていたという「逆風」が災いしたのですから、不運だったのです。次場所で10勝すれば昇進と言われていたのですが、惜しくも果たせず、ついに「万年大関候補」のままで終わってしまいました。
若手時代に部屋で起きたフグ中毒死事件でもたまたま当日のチャンコ番をかわっていたとか、搭乗予定だった飛行機が墜落した事故でも寸前に予定を変更して乗らなかったので九死に一生を得たとか、生命運は強かった長谷川ですが、番付運はいま一つ恵まれなかったようです。
しかし、その実力は超一流だったと思うのですよ。たとえば、急逝直前の横綱・玉の海に完勝した相撲(昭和46年9月場所)を鮮烈に覚えています。そのころの玉の海は安定感抜群で下位への取りこぼしもほとんどなく、6場所連続中日で勝ち越しという新記録(当時)を打ち立てていたのですが、それをストップしたのが関脇・長谷川だったのです。三賞獲得通算11回、金星獲得9個も、柏鵬時代から北玉時代を経て輪湖時代と、上位に実力者がひしめいていた時代だけに、たいへんな記録です。
そんなわけで、私はいまでも、「史上最強の関脇」は、長谷川だと思っているのです。