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500円映画劇場「ジュラシック・エクスペディション」

宇宙探査が行なわれる未来、人類が生存できる可能性を示す惑星が発見された。調査のために、まだ経験の浅い隊長、バイオロボットの科学将校、人工的に機能強化されたレンジャー隊員たちからなる調査隊が派遣される。だが地表に降り立った彼らを迎えたのは、恐竜のような外形の未知のモンスターだった。調査のみと思われた任務は、凶暴な恐竜ライク・モンスターとの命がけの戦いに一変する……

ご覧のとおり、「ジュラシック・エクスペディション」は、SF映画としてのオリジナリティに乏しい設定だ。ちなみに「エクスペディション」とは遠征とか探検のこと。

タイトルが示すように、要するに人跡未踏の環境への探検もの。太陽系外の惑星を、たとえばアフリカの奥地とか、南洋の孤島とか、地底世界とかに置き換えてみれば、それこそエンタテインメント史上に掃いて捨てるほどある秘境探検ものとまったく変わらないシロモノだろう。

つまりは、映画の骨子そのものに、まったく新味がないのだ。いくらCGを多用して、惑星の風景やモンスターの描写に力を入れようとも、根本に驚きがない映画に魅力は生まれにくい。

これもお馴染み、映画本編よりも迫力のあるイラスト

なんてことが、500円映画の世界ではさほどの欠陥ではないのは、これまでさんざん書いてきたこと。そんなことでメゲていては、500円映画とは付き合えないんだぞ。

ついでにいえば、この映画の監督はウォレス・ブラザーズ(兄弟らしい)、脚本はジャコビー・バンクロフト、ジェフリー・ガイルズ、マイケル・ルーリーの3人、主演はエドワード・ガスツ、ホイットニー・ニールセン、イーサン・マクダウェル、リンダ・S・ウォン、C・J・ベイカー。

もちろん知らない名前ばかりなんだが、これも500円映画ではさほどの欠点ではない。そもそも500円映画のスタッフ、キャストに知った名前があるほうがめずらしいのだから。

この映画の欠点は、設定やストーリーにあるわけではないのだ。

SFってこんなもんでしょと言わんばかり

この映画の大きくかつ致命的な欠陥は、イメージの古くささにある。

冒頭に登場する宇宙探査母船の描写を見てみよう。

多数の乗組員が登場して外宇宙を航行し、めだった惑星を発見しては少人数の調査隊を派遣するのだが、その基地たる母船は、当然ながら多数の乗組員が生活していくための設備を備えている。

まずは主人公が自室でせっせと女性乗組員とセックスに励んでいる。それだけですでに鼻白む思いもするが、まあサービスのつもりなんだろう。その部屋には大きな窓があり、その向こうには巨大な惑星が見えている。宇宙船に大窓? 何のためにそんなものが必要なんだか。

そして主人公は船内のバーに行く。そこにはバーテンダーがいて酒が飲める。いやたしかに、大勢の人間が暮らしていく以上、そういう設備も必要だろう。だが、タイトな外宇宙航行に、バーテンダーなどという生産性の低い職種の人間を連れていく余裕はないだろう、ふつう。

バーそのものも、アメリカ田舎の安ダイナーもどき。そして誰もが予想するように、ケンカになるのだが、主人公のケンカ相手はロボットなのだ。いいのか、ロボットと人間がケンカして。ロボット三原則はどうした?

かつて1970年代くらいまでのSF映画やマンガで描写される宇宙船の内部は、非常に清潔なものだった。誰が掃除しているのか知らないが、ゴミひとつなく、およそ生活感のないものだった。それが1980年代に入るころ、「スターウォーズ」や「エイリアン」くらいからか、非常にリアルな生活感を持った居住空間としての宇宙船が登場し、主流になっていく。

そう考えると、この映画の宇宙船の描写は間違っていないと思えそうだが、そうはなっていない。なぜなら、そこにリアリティが乏しいからだ。だから、そこは「作られた」空間にしか見えないのだ。

1980年代以降のリアルな宇宙船を志向しながら、そのデザインが、1960年代ふうの、いかにも宇宙船でございというスタイルなのだ。室内は綺麗だし、乗員はみんなきちんと制服を着ているし、ついでにいえば宇宙船をコントロールしているコンピューターもMS-DOSで動いてるんじゃないか。

その結果、なんとも古くさい感覚に支配された奇妙な空間が出来上がってしまっているのだ。

もちろん、そうしたレトロクラシックなスタイルを敢えて志向する映画だってアリなんだけど、それは「敢えて」する場合の話であって、この作品の場合は「力およばず」そうなっているんだろう。たぶん。

1960年代の映画かよ(笑)

というわけで2018年の作品のくせに、あたかも半世紀近くむかしの「川口浩探検隊」の宇宙版に過ぎなくなってしまった。いや川口浩探検隊のほうが、最初からそのつもりで作っていたぶん、はるかに面白かったぞ(私見です)

なお、ネットの資料では、原題は「Alien Expedition」としているものが多く、映画のエンドタイトルにもそうあるが、ご覧のとおり、広告類には「Jurassic Expedition」とされている。じつは映画冒頭のメインタイトルにもこちらがクレジットされている。ううむ、海外セールス用に改題したのかな。

余計なことだが、「Jurassic」とは地質年代のジュラ紀のことなのはご存知のとおり。「ジュラシック」とはジュラ紀のことだが、恐竜が地球上に生息していたのは、だいたい中生代の三畳紀からジュラ紀を経て白亜紀くらいまで。だのに、なぜかジュラ紀だけが恐竜の代名詞みたいになっているのは、もちろん、かの「ジュラシック・パーク」のせい。

で、今回の作品に「ジュラシック」を冠するのは、まぁいいんだが、地球じゃない惑星での恐竜に似たようなモンスターのことを指しているので、厳密にいえば間違いだろう。べつに「ジュラシック」という単語に「恐竜」って意味はないんだからね。だがまぁ、いいってことよ、それくらいは。

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