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未発売映画劇場「ああ月旅行」
ジュール・ヴェルヌといえば、かのH・G・ウエルズと並んで「SFの父」と呼ばれる巨匠である。私と同世代の人ならば、児童書版などで一度は読んだことがあると思う。
代表作としては「十五少年漂流記」「地底旅行」「海底二万マイル」「八十日間世界一周」などが挙げられるが、私が印象深いのは「月世界旅行」である。
超巨大大砲を作って、人を乗せた砲弾を月に向かってぶっ放すって、豪快かつ無茶なアレだね。
私はずっと1冊の長編だと思っていたが、じつは1865年の「De la Terre à la Lune(地球から月へ)」と1870年の「Autour de la Lune(月世界へ行く)」の2編をあわせたものだそうだ。日本では、早くも1883年(明治16年)に黒岩涙香が翻案訳出しており、以来(完訳は少ないものの)さまざまな翻訳が刊行されている。
さて、先に列挙した代表作を見てもわかるとおり、ヴェルヌの作品は数多くが映画化されている。
で、その第1号となったのが、1902年にフランスのジョルジュ・メリエスが製作した、特撮映画第1号ともいわれる「月世界旅行」なのである。顔のある月の表面に砲弾が突き刺さったヴィジュアルを目にしたことがあると思う。
この作品自体はすでに権利がフリーになっていることもあって、日本でも安価なソフトになっているので「未発売映画」ではないし、目にする機会も多いのだが、ずっと後年に同じ原作に基づいて作られたのが、今回の「ああ月旅行」(1967年)である。こちらは、ぐっとレア。
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もともとの原題「Jules Verne's Rocket to the Moon(ジュール・ヴェルヌの月ロケット)」が示すように、ヴェルヌの「月世界旅行」を下敷きにしたものなのは間違いないのだが、大幅に脚色されたせいか、「原作」とはクレジットされていない。いまふうにいえば「原案(インスパイア)」とかなのかな。
日本では劇場公開されず、テレビ放送されたのみ。その際のタイトルが「ああ月旅行」なのだが「SF騒動記・宇宙ロケット発進!」というタイトルでの放送もあったようだ(大砲で打ち上げるので、ロケットじゃないんですが) VHS時代から今まで、ソフト化されたこともない。
なぜそんなことになったのか。
海外版のDVDで見てみたが、堂々たる大作映画なのである。
舞台がヴィクトリア女王時代のイギリスなので、その再現だけでもたいへん豪華。セットにも衣裳にも、たっぷりと予算をかけているように見える。時代劇って、意外に金がかかるもんだからね。
なかでもクライマックスになる発射場のセットは、アイルランドの廃坑になった銅山に巨大セットを組んだとかで、なにしろCGもない時代、大量の火薬を使った特殊効果は、けっこうな見ものなのだ。
だが、そのかいもなく映画はコケた。
最初に公開されたイギリスでの成績は思わしくなく、それを受けたアメリカ公開版ではタイトルを「Jules Verne's Rocket to the Moon」から「Those Fantastic Flying Fools」に変更された。これはその前に公開されてヒットした「素晴らしきヒコーキ野郎(Those Magnificent Men in Their Flying Machines)」にあやかってのもの。まあ確かに「ヒコーキ野郎」に出ていたテリー・トーマスとゲルト・フレーベがこっちにも出てるからね。
ただこの変更も効果はなく、さらに本編を95分にカットして「Blast-Off」のタイトルで再リリースまでされた。
なるほど、この時点で、すでに日本で公開する目はなかったわけだろうな。
今回見たのはオリジナルのロングバージョン(117分)だが、まあかなりダラダラした感じはするものな。
これ、そもそものコンセプトに無理があったんだろう。
同じヴェルヌの原作で世界的な大ヒットになった「80日間世界一周」や「グレートレース」、前述した「素晴らしきヒコーキ野郎」などの大作コメディを志向して作られたのだろう。原作はまったく真面目なSF小説なのに。そのために、やたらと挿入されるスラップスティックなギャグが、ことごとく浮いて見えるのである(そのうえ、そのギャグ自体がつまらない)
せっかく、バール・アイヴス、トロイ・ドナヒュー、ゲルト・フレーベ、テリー・トーマス、ハーミオン・ジンゴールド、ライオネル・ジェフリーズといったオールスターキャストをセットしたのに、まったく活かせていないのも難点だ。まあオールスターとはいっても地味だけど。
当初は、ビング・クロスビーやセンタ・バーガーも出演する「国際スター大共演」のはずが頓挫したらしいので、その点は気の毒。だが、それが実現してても地味だったろうね。
ただ、もしもビング・クロスビーが出ていたらば、この映画はたぶん「最後のビング・クロスビー映画」になったはず。1965年のリメイク版「駅馬車」のあとは、70年代に2本の「ザッツ・エンタテインメント」に司会者役で出演したくらいだから。歴史に残る映画になったかもしれないのに、惜しかった……かな?
そんなこんなで、どうも何かに乗り遅れた感が漂う大作なわけで、今さらここに取り上げて、どうこう文句をつけるのも気の毒ではある。
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とはいえ見逃せないのは、そもそもこの映画を作った人物である。
ヴェルヌの原作をずたずたに改変したシナリオを書いたのはピーター・ウェルベック。んんー? どっかで聞いた名前だぞ。
そして製作はハリー・アラン・タワーズだ。
はい、その通り。
前に「そして誰もいなくならなかった」で遭遇した、アガサ・クリスティーの名作ミステリ「そして誰もいなくなった」をじつに三度にわたって映画化しながら、みごとに成功しなかった、あの男だ。
そのときも触れたが、ピーター・ウェルベックはハリー・アラン・タワーズのペンネームなのである。三本のズッコケ「そして誰もいなくなった」を脚色したのも、このウェルベック先生だったりする。
なるほど、こんな映画を作った責任は監督のドン・シャープや豪華かつ地味なオールスターたちのせいではなく(たぶん)「イギリス版ロジャー・コーマン」っぽい映画屋ハリー・アラン・タワーズのせいだったのだ。なんか納得いくね(笑)
というわけで、この「イギリス版ロジャー・コーマン」にがぜん興味が湧いてきたのである(悪いクセ) もう一人のヤスモノ映画キング、ぼちぼち調べてやろうじゃないか。