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ジャッキー・チェンと勝負する・追撃戦(6)
今回は「カンフー・パンダ」(2007年)です。え? ちょっと意外?
そう、この映画をジャッキー映画と考えるかどうか、じつはかなり微妙なのだよ。
これまでも、ジャッキー・チェンは出ているがジャッキー映画ではない作品はけっこうあった。アーリー・ジャッキー・チェンの諸作とか、ハリウッド進出初期の作品とか。
ところがこの映画はそれ以上。
「カンフー・パンダ」に、ジャッキーチェンは出てもいないのだ。ドリームワークスのアニメーション作品であり、ジャッキーは声優として声の出演を果たしているだけ。
しかもその役は、主役のパンダではなく、バイプレーヤーであるマスター・ファイブの一人「マスター・モンキー」 お猿なんですね。まあジャッキーは猿の動きを取り入れた猴拳もできるけど、それは関係ないね。
さらに言うなら、マスター・モンキーは、その5人のマスターたちのうちでもけっして目立つほうではない(一番目立つのはアンジェリーナ・ジョリーが声をあてたマスター・タイガー)
ジャッキー・チェンの顔や姿が見られるわけでもなく、そのうえ脇役。
うーん、たしかにジャッキー映画と言い切れないかなぁ。ちなみにジャッキーは、「ツインエフェクト」などのように、製作面でかかわっているわけでもない。
だが、ちょっと待て。
ならば、なぜこのアニメーション映画の声優に、あえてわざわざジャッキー・チェンを起用し、またジャッキーもこの役を引き受けたのか?
だってそうでしょ。
ハリウッドに進出して成功したジャッキー・チェンが、もっとも苦手とし、自らジョークのタネにまでしているのが何かといえば、それは英語のセリフ。
ハリウッド作品でも定番としている、エンドクレジットでのNG集でも、セリフを間違えたり詰まったり噛んだりするNGが、ことのほか多い。
この欠点をカバーして有り余るのが、アクションというわけだ。これでジャンキーがアクションが出来なければ、もちろんハリウッドでこれほどの地位を築けはしなかっただろう。
そのジャッキーを、英語のセリフしかない役に起用するなんて、ふつうでは正気とは思えない起用だ。
にもかかわらず、なぜ?
それはもう、この映画が「カンフー映画」だからに他ならないだろう。
タイトルやテーマがカンフーなだけではない。この映画、ストーリーやキャラクターの作りなどに至るまで、完全に「カンフー映画」のスタイルを踏まえている。
主人公のパンダのポーは、カンフーマスターにあこがれながらも、まったくその素質もなく、陽気でタフなだけが取り柄のダメパンダ。ところがその彼が、一念発起して厳しい稽古にはげみ、ついには強敵を倒す。
これ、完全な「カンフー映画」のフォーマット。
そして、ここにコメディタッチが交えられている。
そう、カンフー映画にコメディ要素を持ち込んだのは、ほかならぬジャッキー・チェンではないか。
つまりこの「カンフー・パンダ」は、スタイルやそのほか、まさにジャッキー映画をそのフォーマットにしているのである。
だから、この映画にジャッキー・チェンが出演するのは、むしろ必然なのだろう。
「カンフー・パンダ」をジャッキー映画に加えることになんの問題もないことが、これでお分かりいただけただろう。
そしてもうひとつ、じつは重要な側面がこの映画にはある。
それは、この映画のクライマックスだ。
そう、過去のどんなカンフー映画をも上回るカンフーアクション・シーン。
これほどスペクタクルなカンフーアクションが、かつてあっただろうか。
もちろん、それが可能になったのは、これがアニメーションだからだ。
さすがにこのアクションは、ジェット・リーでもドニー・イェンでも、いやブルース・リーやジミー・ウォンでも、もちろんジャッキー・チェンでも、ライブで行なうことはほぼ不可能だ。
そう、「カンフー・パンダ」は、そのカンフーアクションの凄みにおいて、じつはカンフー映画史上において、どえらいエポックとなった作品なのではないだろうか。
残念なことに、「カンフー・パンダ」はアメリカ映画であるがゆえに、そしてアニメーションであるがゆえに、こうした評価はほとんどされてこなかったようだが。
そうした映画であるがこそ、この映画はジャッキー映画としても、そしてカンフー映画としても、じつはけっこう重要な作品なのではないだろうか。
単なるお子さま向けアニメとしてスルーしては、いけないと思うのだよ。