体験が人生をつくる
休職期間も2週間近くが過ぎようとしている。
体調自体は安定していて、色々やりたいことをやりたいようにやっている。要するに暇なのである。だから色んなことを考えては吐き出している。
今日は休職前に考えていたことを整理するために書こうと思う。
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ChatGPTが世の中に出てきたときに僕はこんなことを思った。
「勝てるわけではない」
僕は、商談の後のお礼メールを書くのが苦手だ。微妙なニュアンスを言葉にして伝えるのが苦手なのだ。最初のころはお礼メールを作るだけで1時間近くかけていたこともある。一方、ChatGPTであれば1~2分で作れてしまう。それだけでなく、コンサルティング的なこともできてしまうんだと。出来損ないの自分には、勝てる余地がないなと思ってしまった。
ChatGPTが仕事をなくすという勘違い
この考え方の問題は2つある。と今ならわかる。
1つはそもそもAIと同じ土俵で戦うべきと考えていたこと。
ここでいう同じ土俵というのは、目に見えやすいスキルで勝負することだ。マーケティングができる、営業ができる、経理ができるなど。もちろんスキルを持っていることはとても大事だと思う。だが、スキルの獲得自体が目的になった瞬間に、それはもうAIに代替可能なものになってしまう。だから、違う土俵に立つというか、そもそも勝負しないことが大事なのだと思う。
もう1つは、人間にはもうやることがないと思い込んでいたこと。ChatGPTが広まったらもう人間がやるべき仕事はなくなるという人もいる。今までもスマホなど新しい技術が出て来るたびにそのように言われてきた。でも、結局この世から人のまったく仕事がなくなることはない。そして人間がやるべきことはまだまだあるのだ。
この時代に人間が人間らしく生きるには
では、人間がAIに負けない(というよりそもそも勝負する必要がない)こと、ものは何か。
それは体験だと思う。
もっというと体験を通して得られる感情や感覚は誰にも替えることができない。料理を作っておいしく食べること。文章を書いて楽しむこと。草野球をして汗をかくこと。旅先で絶景を見て感動すること。これらは自分がただ一人感じたものであって、これを代替することは不可能だ。もっというと好き、嫌いのという感情を大事にすべきだ。仕事ではこの体験が評価されることはなかなか難しいのだが。
仕事をする上では、スキルを磨き、それを活かして仕事をすることももちろん大切だと思う。しかし、スキルを磨くことに執着しても、その先に残るのは、代替可能な何かだ。その代替可能な何かだけを求める人生はとっても虚しい。
だからこそ今、仕事から離れ、時間だけはあるこの瞬間を無駄にせず、体験することに費やしていきたいと思う。そしてそこで得た感情をかみしめながら徐々に今後の仕事のことを考えていきたいと思う。
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