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東日本大震災のホンネ
先日、宮城県に行く機会があったのでその時の出来事を記しておこうかと思います。
まず、
ぼくが宮城に行ってきたのは、後輩に誘われたから。
その後輩はというと、
とある企業に見に来ないかと誘われたから。
ようは、便乗ですね(笑)
さて、そんな感じだったので、僕は別にインターンじゃないわけですね。
うん。
まあ、暇だなと。(笑)
ちなみに企業の所在は宮城県石巻市。
そう、2011年あの地震の時に報道されまくってたあそこです。
こういうのが街のあちこちにあるんですよね。
ちなみに余裕で背丈は越えていました。(165㎝くらいです)
とはいっても、ここは割と復興しているらしいので女川に行っておいでよと企業の方のアドバイスをいただいて向かいました。
まあ、確かによく聞くということは石巻はそれだけ復興が早い地区なんですよね。
さて、女川行きの電車まで30分。女川駅まで20分。
考えるわけですよ。うーん。(-"-)
「ヒッチハイクのほうが早い…?」
↑あほちゃうかなと思わんでもないんですけど、
当時は(今も若干)ヒッチハイク厨でございました。
そんなこんなで、Let's hitch-hike!! (←錯乱?笑)
そんな中乗せてくれたのは心優しきお兄様二人組。
ガタイのいい感じの方々。
「よく来たね~。こうやって、まだ覚えてくれてて関心を持ってくれてるってことがそれだけでも嬉しいよ(*^^*)」
そうおっしゃってくださいました。
そう、7年も経つもので世間の関心が薄れていっているのです。
被災地区の一部は今でも滞在できなかったりするのに。
そんなこんなでたどり着いた女川駅
めちゃくちゃキレイ。そして二階には温泉。手前右側にあるのが足湯。
半端ないなぁ。
上からの景色はこんな感じ。
(道路両脇の建物には店舗が入っていて買い物等々できます)
うん。
「メッサきれいやん!」
と、いうものの写真には写っていないですが建物の奥側、海岸線近くはまだまだ工事中。被災当時の跡は残っていないものの、直ったわけではない。
そんなもの悲しさをひしひしと感じました。
フラフラと二時間程度滞在して、石巻への帰還。
・・・ということは?
ええ、もちろんのヒッチハイクですね。
乗せてくれたのは30~40くらいのおかあさま。
被災当時の話を伺うことができました。
「北海道地震が最近あったじゃない?あれも同じだと思うのだけれど、私たちは遠くにいるから情報が得られる。だけれど、被災している当の本人たちは情報が足りないの。ちゃんと把握できていない。」
(女川、石巻ではそんな感じだったそうです)
「私は、3㎞ほど内陸側に住んでいて、もともと地震自体は少なくないほうだから、今回のは大きいなくらいに思っていたの。普段、我が家まで津波が来ることなんてないからね。けれど、私たちの家のところまで津波が来た。高いところだと16m(?)くらいまで上がったらしいよ。」と。
「津波が引いた後だって、建物に何かが引っかかって物が残るっていうのは分かるのだけれど海岸線に何か物が残っているっていうのは普通はないの。けれど、ラジオから海岸線にたくさんの人が居ます(死体が並んでいます)っていうのが流れた。耳を疑いました。」と。
(思い出しながらなので当時どのように放送されたかは不明)
話すその方の間の取り方や、声の震えから当時の恐怖感が伝わってくるようでした。その方の息子さんは今でもここは波が少しでも来た場所なのか?と確認するほどだそう。経験していない自分たちには到底理解の及ばないようなトラウマだったのだろうと予想できる。
そんなこんなで石巻まで送り届けていただき、宮城での旅の一部を終えました。協力してくださったお兄様方、貴重な話をしていただいたおかあさまには頭が上がりません。
少しでも、当時の事実が薄れることなく皆さんの心に留まるように、自然を侮らないように、Noteに残しておきます。
なるべく多くの方に見ていただきたいので、拡散、また支援してくださると幸いです。