一生懸命にやりたいことに対する熱量の違い
「一生懸命にやりたいこと対する熱量の違い」
今回はこのことについて考えたいと思う。
まず一生懸命やりたいことについて、
自分はよくインスタグラムを見るのだがその中で
「大学生でやるべきこと○選」
という記事をよく見かける。
その内容を見てみると
免許をとったほうがいい、だとか
資格をとったほうがいい、だとか
遊んだほうがいい、だとか
などと書かれていることが多い。
同じような投稿が続く中、
「何かに一生懸命になること」
と書かれた投稿を見た。
それを見た瞬間、
確かにそのように一生懸命になれる時間は大学生が最後かもしれない
と、自分はあることに一生懸命励むようになった。
(というのが半年前の話である)
と、あることに励むこと半年の現在、ある悩みを抱えている。
それは
あることに対して他人と一緒に一生懸命になるということはそれぞれの一生懸命さの大きさや程度が違う
ということだ。
グループの中で漠然とした目標がある中で、他人と一緒に協力して達成を図る
このことの難しさ・大変さを感じ始めた中で、そう感じる所以を考えてみるとこの結論に至った。
グループ内には身を削ってまで一生懸命になる人もいれば、そこまでして一生懸命になるまででもない、という人もいる。
そこまで一生懸命にならない人、といってもその一生懸命と感じるラインが違う。
だから本人は一生懸命ではあるのに他の人と比べるとそう見える、
ということが発生するのだ。
もし仮にその違いがグループにどれだけ貢献したか、や仕事量であった場合がわかりやすい。
ただしここでの問題は、それぞれのモチベーションの高低の違いである。
仕事量の差であればもっとやろう、など現実を見た上でこれからどうしていくかの判断がしやすい。
しかしそれがモチベーションであった場合には人と人の間に距離ができる。
本人の頑張っているつもり、一生懸命さはただの基準であるのに過ぎず、その基準より高いところが頑張っている、という人がいればその人が頑張っていると見える。
段々と悲しくなってこないだろうか。
それぞれの頑張っている度合いを認められること、このことは褒められる側にとってはとても嬉しいことだ。
しかしそれは少しでも上回っている人がいればすぐ褒められ度合いは変わる。
そしてお互いに頑張っている人が同じプロジェクトを行ったら必ずしもうまくいく、とは限らない。
お互いが頑張っていても、同じように目標のために努力してもどうしても距離ができてしまう。
その差を埋めるためには、この問題を一歩でも解決に導こうとするならどのような手段を打つべきなのだろうか、、、ムズカシイ、、、
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