青の剣の継承者#6-2
(1)
(前回)
◇
【――】
……ドクン。ドクン。
ドクン。ドクン。ドクン。
記憶の光景が不安定に揺らぎ、明滅し始める。
真紅の暗闇の中で、リューリは懸命に目を凝らす。
(これが……)
〈獣の呪い〉。
過剰なマナに心身を侵された魔法使いの末路を、誰もが知っている。
しかし変貌の一瞬、当人の意識の内で何が起こっているのか、その詳細を知る者はいない。語られることがないのだから。
〈呪い〉に耐えた、あるいは「引き返した」――そう言われる者も少数ながら存在する。そうした者たちも、彼らを蝕もうとした現象についてなぜか硬く口を閉ざす。
【お前は】
得体の知れない巨大な意志が、彼自身の意識に繰り返し割り込んで来る。頭蓋におぞましい根を張ろうとしている。
それはひとくさりの言葉。
マナに刻まれた妄執。
人間への尽きせぬ憎悪と、失われた――への渇望。
【■。取り戻せ】
リューリは強く頭を振ろうとした。しかし、頭がどこにあるのかを思い出せなかった。
目を開けているのか、閉じているのか。立っているのか、倒れているのか。
自分で自分の状況が分からない。
〈鬼火狼〉は、あの三人はどうなった。
もしかすると、もう全て終わってしまったのかもしれない。
仇も討てず、〈呪い〉にも勝てず。
ヒノオの言った通りに。
「駄目だ……逃げろ……お前にはできない……」
重なる心音の合間を縫って切れ切れに声が聞こえる。
それは現在からではなく、十数時間前の記憶の続き。
(聞きたくない)
リューリは歯を食い縛ろうとする。顎の感覚が見つからない。
拒絶と怒りの炎だけが、奪い去られようとしている意識の底で、まだ確かに燃えている。
「その剣は……捨ててくれ……どこか遠くに……繰り返さねえように……」
【呼ばえ。■の身体。■の身体。■の身体を】
(勝手なことばかり言いやがって)
「……〈呪い〉に食われるぞ。それは、そういう剣だ……」
ヒノオの言葉には、似合わぬ悲哀と焦りが滲んでいた。
己と同じ罪を犯そうとする無謀な弟子を止めるため、残された僅かな時を費やし、浅い息を振り絞っていた。
「仇を討ちてえのは分かる。俺に……資格がねえのは分かってる……」
(うるさい)
【お前は■だ】
「……お前は……昔の俺によく似てやがるんだよ……」
(黙れ――)
◇
「止めろ!!」
周囲を揺るがす怒声が叩き付けられた。
反射的に身が竦み、リューリは〈青の剣〉へ伸ばしかけていた手を引いて硬直した。
常のような威勢をその一声に込めたヒノオは黒い血反吐を吐いて咳き込んだが、力を失わない目でリューリを睨み付けた。
「お前が〈呪い〉に屈すれば……傷つくのはお前だけじゃねえんだ。見ただろうが、この村は、俺の……!」
「い、嫌だ」
震えながらリューリはようやく答えた。死にゆくヒノオよりも弱々しく、掠れた声だった。
冷えた涙に頬が濡れているのを感じた。
(泣くな。泣くな!)
引き下がらないのなら、覚悟を証明しなければならない。
ガキの泣き言ではないのだと、叫ばなければならなかったのに。
「今戦わなかったら、いつ戦えばいいんだ。も、もう、何もないのに。この村も。オレにも。何も。アンタが。アンタのせいじゃないか……」
――しん、と空気が鳴り、首筋に冷たい線が触れた。
再び伸ばしたリューリの手は空を掴んでいた。
扇のような光を曳いて振り抜かれた〈青の剣〉は、リューリの首を刎ねる寸前で止まっていた。
苦痛に満ちたヒノオの目には、涙と鼻水まみれの情けないガキの顔が映っていた。
その手から剣が滑り落ちても、ずっと。
◇
(そんな顔で死んで欲しくなかった)
証明しなければならない。
叫ばなければならない。
怒り。拒絶。狂気にも似た炎。
(オレを殺さなかったことを、後悔なんてしないでくれ)
(オレは――!)
◇
【お前は■だ】
【お前は■だ】
【お前は■だ】
【お前は】
唐突に、呪縛の声が途切れる。
その間隙を縫って、ひどく遠い外側から誰かの叫ぶ声が耳を打った。
言葉は曖昧だった。
揺らぎはほんの僅かな一瞬。
しかし自分の肺を、喉を、その使い方を取り戻すには充分だった。
ゆえに躊躇いなく、リューリは大きく息を吸い込む。
【お前は】
◇
「――黙れぇッ!!」
声が世界を引き裂き、全てが急速に開けた。
痛みと熱。
異臭の立ち込める空気。
破壊された村の光景。
正面に、銃のような〈遺物〉を構えたままへたりこんでいる男。
その向こうに、黒煙に包まれて首を振りながら後退る〈鬼火狼〉。
近くの地面に転がり、呻いている鎧の女。
リューリの身体は何らかの衝撃を受けて後ろに倒れようとしている。
空を見上げると、〈青の剣〉が回転しながら宙を舞っていた。
手からそれが弾き飛ばされたことで、〈呪い〉が遠ざかったのだと分かる。
ならば、すべきことは決まっている。
魔法を行使。
柄の一点に力を灯し、伸ばした自分の右手へ引き寄せる。
ほんの僅かな力でよかった。一度手にした剣を再び握るためには。
「――オレはお前じゃない! オレの魔法がオレの力だ! 来い! ブッ殺してやるからな! クソ師匠ォ!」
(7に続く)