ももクロの「走れ!」では「ココロ」と「体」というのが明らかに対比として書かれている。
この曲の主題は「金閣寺」と同じで、「世界を変えるのはココロ(認識)か体(行為)か」ということだと思う。
「走れ!」の主人公はすでにココロは走り出しているが、体はまだ走り出していない。というか動き出してもない。「君」を好きになったが、告白などの行動はまだ起こせてないということ。したがって曲名の「走れ!」というのはココロではなく体に対して言っている。認識を変えるだけでなく行為を起こせ、と言っている。しかし主人公は「今はまだ勇気が足りない」「少しのきっかけが足りない」から告白することができない。
そして落ちサビ。
文脈から考えると、「君が好き」というのは、「君が好き」という言葉で君に思いを伝える、ということだろう。だとするとこれは認識か行為かでいうと行為にあたる。つまり言い換えると、
告白という「行為」で世界を変える?世界は変わる?
ということ。
まあ「君が好き」というのが認識のことだという解釈もできなくないと思うけど。
また、「走れ!」には「言葉」について触れている箇所が多くある。
これも重要だと思う。主人公は好きだという言葉を相手に伝えられない。繰り返して書くとこれは「走れ!」的に言うと「体」が走れていないということであり、「金閣寺」的にいうと「行為」を起こせていないということ。
「金閣寺」でも「言葉」について深く考えている。まず主人公の溝口は吃音であり言葉をうまく発せない。
「言葉」が「内界と外界との間の扉の鍵」であることは間違いないのだと思う。世界とつながるには言葉が必要で、好きな人に告白もできなければ話しかけることすらできない「走れ!」の主人公も、「金閣寺」の溝口と同じ悩みを抱えている。私たちも同じではないか。
おまけ。
奇しくもももクロは2013年に2度目のNHK紅白に出場した際、金閣寺をモチーフにした衣装で出演している。
正直そんなに金閣寺には見えないが百田夏菜子本人がそう発言したらしい。三島由紀夫の「金閣寺」を読んでいる身からすると、アイドル(idol)が金閣寺を模したというのは面白い。
もっとも、1曲目の「GOUNN」の歌唱が終わった時点で金閣寺の衣装は変えていて、2曲目の「走れ!」に関しては違う衣装で歌唱している。