唯一のパートナーと男性不信と性自認
大学に入ってから、一人の男性と付き合うことになった。後に夫となり、「元」夫となる同級生だ。
初めて学外で二人きりのデート。精一杯の女の子らしいお洒落をして待ち合わせの神戸三宮駅に向かう僕の胸には不安があった。
本当に彼を信じて一人で行って大丈夫なのか? 最悪の場合、殺されて山に埋められるのではないか?
冷静に考えるとあり得ない。そこまでの不信感を持っている相手と付き合えるのか? 不安を抱えながらもなぜ行かなければならないと自分を追い立てたのか?
そんなのは恋愛ではない。そう、恋ではなかった。僕はただ、どうしても家族が欲しかった。そのために彼を利用したのだ。彼とは自然消滅以外で別れるビジョンが見えなかったから。たまたま彼は男性で、たまたま僕は周りからは女性とみなされていて、法律上結婚して家族になることが許される間柄だったから。
彼のことは「友達になれそうだな」くらいに思っていた。恋愛対象として意識してはいなかった。誰のことも恋愛対象ではなかった。男性と接する時は、相手に気があると思わせないよう、距離感と言動に気をつけていた。恋愛関係に発展してもいいと決めると、親しくなり過ぎないよう牽制する必要がなくなって楽だった。
恋ではなかったとしても、愛する覚悟はできていた。家族として迎えた犬を愛するように。たとえ望んで迎えたのではなかったとしても、一緒にいるうちに「うちの子が一番可愛い」と言い出す親バカ飼い主のように。
そういう形で愛することが間違っていたのか、僕にはわからない。確かに好きだったし、可愛いと思っていた。色々なことを許すことができた。それだけでは不十分だったのだろうか。それだけでは、互いに信頼し合うようなパートナーには、なれなかったようだ。
彼は僕を信頼していなかったと思う。少なくとも心の内をさらけ出す気はなかったようだ。彼が何を感じ、何を考えているのか、僕にはよくわからなかった。いずれ信頼関係が深まれば話してくれるものと思っていた。そんな期待を抱いていた僕が甘かった。
彼もまた僕のことを理解しなかった。理解しようとはしていたのかもしれない。ただし、僕と直接話すのではなく、ネットで他の男の意見を見ることによって。
彼は僕の言葉ではなく、「女とはこういうものだ」という言説を頼りに僕を扱った。攻略サイトを見てギャルゲーをプレイするように。僕も強くは反論できず、その言説に押し切られた。自分自身が女と思えなくても、女の身体を持つ限りは巷で言われるような言動をしてしまうのかもしれない、と。実際には僕は僕であり、一般論には当てはまらなかったが。
彼の言葉は正しそうに思えた。僕の機嫌を取ろうと嘘を吐くよりも、思ったことを素直に言う人だった。何かと理屈をつけてゴネるのが得意な人でもあった。自分の意見を持っていて頼もしいように見えた。判断や決断を彼に委ねて楽になりたかった。自分の意見にはいつも自信が持てなくて、彼の言うことに縋りたくなった。意見を対立させて彼の機嫌を損ねるのも嫌だった。
一緒に暮らすうちに、擦り減っていくものがあった。犬を飼うかどうか、子供を持つかどうかなど、大事な話に限って、はっきり伝えたはずの僕の想いはいつの間にかなかったことにされた。何事もなかったかのように、彼の意向通りに進められていた。途中でストップをかけると彼は拗ねて、話し合いどころではなかった。意見をすり合わせて二人の中間に着地点を見つけるということが不可能だった。
そもそも彼は僕の考えや内面になど興味はなくて、僕の話を真剣に聞く気などなかったのだと、認めざるを得なかった。彼は違うと言うかもしれないが、そうとしか思えなかった。彼が欲しかったのはパートナーではなく「女」であり、女の声に真面目に耳を傾ける価値などないと考えているように感じた。
ずっと小馬鹿にされているような気がしていた。でも僕自身が僕にはそれだけの価値しかないと思っていたし、不当な扱いを受けているとは考えなかった。
犬を暴力から守るために彼の側を離れ、実家で彼とのことを考え続けるうちに、自分がずっと不満を抱えていたことに気付いてしまった。本当は対等な人間として扱われたかった。妻が自分より犬を優先すると拗ねるのではなく、一緒に親の立場になってほしかった。僕の心に関心を持ってほしかった。
僕のほうも彼を信じていなかったのかもしれない。男なんて所詮はこんなもんだと思っていたのかもしれない。男というものに失望していて、男性全般に対する敵意を彼に向けてしまっていた。
全て過去の話だ。もう離婚したのだから、彼とのことで思い煩う必要はないはずだ。しかし、深まった男性不信が、今の自分にも影を落としている。
自分を女性だとどうしても認識できない。30年間女性になろうと努力して、やっと諦めてから数年。自分を男性と認識するほうがしっくりくるかもしれないとも思う。胸の膨らみを手術で取りたいし、女性らしい名前を変えたい。男性として生きられたらもう少し楽かもしれない。
しかし、自分の中の男嫌いの部分が、あいつらと一緒にするなと怒り出す。自分を軽んじ、性的なモノとして消費しようと近付いてきたあいつらと。
世の男性が性犯罪者ばかりではないことも、性差別的な価値観から抜け出そうとしている人がいることも頭ではわかっている。それでもあのにやついた目を忘れることができない。実体験としての恐怖と屈辱を振り払うことがてきない。
男性絡みのトラウマを乗り越えなければ、自分の性自認さえまともに考えることができない。それまでは曖昧なまま、どこにも属さない中間にいさせてほしい。