好きな言葉に出会う時
好きな言葉に出会う時
とてもとても大好きなタイトルの本がある。
その本と出会ったのは人生に暇を持て余していた20歳の冬、その日も暇を持て余して駅中の本屋をぶらついていた時だ。
脳内で8割がほにゃららに変換されるほどに、幾千万と並ぶタイトルを流し見していた時に目に入ったその言葉は、最も簡単に私を支配した。
足も目も呼吸も。動かすことをしばらく忘れて1文字ずつ、1語ずつ、スローモーションで1文を咀嚼した。
ぼく、の、すき、な、ひと、が、
よく、ねむれ、ます、ように、、?
ぼくの、好きな、ひとが、
よく、眠れます、ように、、
僕の好きな人が、よく眠れますように、、。
その本とは
中村航さん著書《ぼくの好きな人がよく眠れますように》という小説だった。自分でも驚いたが、この本を購入した後、物語を読み始める前にタイトルを繰り返し黙読しただけで涙が出た。
ここから先の内容は、あくまでタイトルについて私が持った感情を書いているので、物語のネタバレはありません。ご安心ください。
誰かがただぐっすりと眠りにつくことを祈りたくなるくらい、誰かを愛おしく思える感情。
この感情を誰かに抱きたい。この感情を誰かに抱かれたい。この感情を誰かに抱きそしてその事を伝えたい。
まだ 与えられることばかり優先する恋愛しか経験できていなかった当時の私は
「この素敵な言葉、感情を誰かに渡したい。これがわたしが知りたい愛だ。」と大いに興奮を覚えた。
この言葉と出会ってからの私は以前よりも
感受性が豊かになったと思う。
自分一人では気付けなかった感情を知り、
"言葉"というものの偉大さを知った。
形だけで見ればただ文字が並んでいるだけだが
誰かが紡いだその言葉に、
心も体も支配され、魅了された一時を知った。
好きな言葉に出会う時、
それはこちらが"さぁ、いまから好きな言葉と出会うぞ!"と準備できているシーンはなかなかないなと思う。
何気ない暇つぶしの中や、テレビや、誰との談笑の中で出会うことの方が多い。だから喜ぶことができる。
また"嫌な言葉"に出会う時も然り、準備できていることは多くない。だから悲しくなったりする。
言葉というのは、前触れのないプレゼントだ。
ふとした瞬間に 好きな言葉に出会えたら
気付ける自分で居たい。
気付ける自分で居るには、
自分が使う言葉を好きな言葉で埋め続けていたい。